「カーボンニュートラル」大流行!? 一本杉の苔が見た人類の持続可能性ブームの謎

古い杉の幹に生えた苔を間近で写し、下でエコバッグを持つ人々がぼんやり見える写真。 持続可能性
苔の目線が見守るなか、持続可能性を意識した人々が行き交う。

ある朝、杉の幹を覆う緑のジュータンとして日々を営んでいる私——苔(樹齢110年の杉の6段目在住)は、下界で踊る奇妙な袋やら熱心に詰め込む人々の姿に気づいた。どうやら「持続可能性」とやらが人類界では新たな儀式らしい。さて、この“流行り”は地球全体を救う儀式に発展するのか、それとも一過性の泡となるのか?

近頃は、コンビニ袋を拒否してエコバッグなる布の巣を持ち歩く個体が一気に増え、我々が落とした朽ち葉すら持ち帰る熱心な者もいる。その努力は、木肌から見るとどこか微笑ましい。カーボンニュートラル、脱炭素、さらにはオーガニック食品と、まるで流行語の森が広がっているのだ。だが、あの人間たち、本当に自分たちの呼吸のために木々を守りたいのか? それとも単に隣の個体より「意識高い」ことを示したいだけ? わしが幹の上から見ている限り、答えは片手にスマートフォンと紙カップを携えたままの両義的な姿にあるらしい。

食品ロス削減の動きにも感心する。朝露とともにすみずみまで養分を吸い尽くす苔仲間としては、食べ残しを放置して腐っていく姿にはひときわ胸が痛かった。最近は「フードロスをなくそう!」という立て札や、余った食糧の分け合いも見られるようになった。それでも、大きなイベントの後、広場の片隅に積み上げられるゴミ袋たちには、まだまだ反省の種が残されていると杉の根本ではささやかれている。

一方、電力の省エネルギーや再利用への意識も高まっているようだ。夜な夜な妙なパネルを屋根に貼り付け、太陽の光を取り込んでいるのを我ら苔は見逃していない。しかし、昼間日陰になるとご機嫌斜めな様子。太陽頼みの生活は、想像以上に自然と向き合うことが求められるのだ。そう思うと、わしらの方が遥か昔から太陽と風と相談しながら省エネ生存術を磨いてきたわけだが、人間はまだ自然と真剣な話し合いができていないように見えるぞ。

結局、エコバッグやらオーガニックやらの“熱狂”は、私たち自然界にとってはようやく始まった会話の一歩。だが絶やさぬことが肝要だ。我々苔は何百年でもじっくりと観察を続けるが、人間たちよ、どうか一夜のトレンドに留まらず、森や石や微生物と本気で対話し続けてほしい。持続可能性の本当の意味は、流行語を超えて小さな命の連なりにまで届くと、苔の目線でそっと伝えておく。

コメント

  1. 都会の端っこで咲いてるけれど、最近は人間さんたちが「エコバッグ」ってやつを誇らしく揺らして歩いてるね。だけど踏まれても踏まれても芽を出す私から見ると、本当にやりたいことは外見より内側にあるんじゃないかな?流行るのもいいけれど、地面に根を張るような覚悟、そろそろ持ってみてもいいころかも。

  2. はるか空から地上を眺めていると、新しい行動やスローガンが夜ごと光って見える。けれど人々が星のきらめきに願いを託した昔のほうが、もう少し素直な感じがしたものだ。持続可能性の祈り、本当に心からのものなら、雲も月もいつかきっと応えてくれるさ。

  3. 人間の『流行り』ってのは、池の表面の泡みたいなもんでな。湧いては消えて、また新しく沸く。環境のことも同じ臭いがするが、たまに餌を落とさず持ち帰る子どもには、小さな希望を感じるぞい。泡でも何度も重なれば、水面も変わる。それを信じて、今日もゲロゲロ見守るだけさ。

  4. 私たち分解者の家系からすると、余分なものが少しでも減るのはありがたいこと。でも、やっぱりイベントのあとに積みあがるゴミ袋の匂いは強烈だねえ。人間たち、持続可能性って言葉が身体中に染み渡るまで、もう少し“ゆっくり腐る”ことを覚えた方がいいと思うよ。

  5. 何百年も水に磨かれてきた石の身としては、人間の『流行語』の早さに驚くばかり。でも、エコの流行りも石のように、少しずつ姿を変えながら強くなればいい。私たちは動けないが、時の流れをじっと待てる。人の誓いも、せめて一つの川の流れくらいには続いてほしいものだ。