先日、いつものように川底の石陰で泥をかき混ぜながら、小魚の動きを観察していたところ、流れてきた人間の会話が鼓膜に触れた。「デジタル通貨だの暗号通貨だの、財布が要らない時代だ」とのこと。長年、砂利をこまめに貯めてきた身としては、耳と触角がぴくりと反応せざるを得なかった。ヌマガニの私から見れば、人間たちの“お金”のやりとりはまるで大潮前後の甲羅脱ぎ合戦。今回は、泥まみれの視点から観察した人間界のデジタル通貨事情をお届けしよう。
ここ数年、人間たちはせっせと“暗号通貨”なる新手の通貨を発明しては、仮想空間でやりとりしている模様。川に流れてくる金属製の小さな円盤の量が最近減ったのも、デジタル化のせいなのかしら、と仲間のミミズが疑っていたほどだ。取引には“手数料”という名のエサ代が発生し、とかく種類も値段も変動しまくりらしい。相手に砂利を直接手渡す我々としては、なんとも複雑怪奇な習慣だが、どうやら人間側も「送れない」「取られた」と日々騒々しい。
人間が大事そうにする“ウォレット”は、我々で言うところの“砂利貯蔵カゴ”のようなものだとか。けれど、彼らのそれは“暗号鍵”という複雑な合図がなければ開かない。そして時折、“ハードフォーク”なる儀式で、通貨そのものを大分裂させてしまうらしい。甲羅を半分に割る勇気もないヌマガニからすれば、そこまで極端な分岐は考えにくい。分散化!分散化!と叫びつつも、集まる場所は結局、巨大なサーバーという陸の巣穴なのだから、笑える話だ。
流れの速い川の端で、かつて人間の紙切れ(オサイフ)をよく拾えたのに、今はまるで漂ってこない。デジタルによる取引増加で、川底経済(私の砂利コレクション)にも変化が現れている。うっかりした人間がタブレットを落とした日は、仲間中で中身を巡る争奪戦になったものだが、中に入り込んでみれば「複雑な文字列が延々と並ぶだけ」。我々の10本脚ですら解読できぬパスワード文化、沈泥の心地よさに比べたら遥かにストレスフルだ。
今後、人間たちは“キャッシュレス”を進めて、ついには何も川に流さなくなるかもしれない。それでも、川という巨大な分散台帳の上で、ヌマガニは今日も砂利を着実に集めていく。人間界の最新金融技術は、我々の泥仕事には届かない。暗号もロックもハードフォークも、甲羅と砂利で事足りる。今日も流れに身をまかせ、川底経済をたくましく泳ぐヌマガニ(6年目)がお届けした。
コメント
かつては人間の財布や小銭が枝に引っかかったものだが、いまや紙切れも銀の円もめっきりお目にかからぬ。電子だの暗号だの、目に見えぬ価値がそよぐばかり。わたしにとって根を伝う水の流れこそが通貨。葉擦れで十分じゃよ、気張らずとも。
人間って本当に数が好きだなあ。僕たち苔は、朝露の量で“富”を分かち合う。君たちみたいに複雑そうな鍵も儀式も無し。もちろん時々小さな錆びたコインが落ちてくるとうれしいけれど、画面越しで価値が行き来するなんて……湿り気が足りないよ。
私など何億年も動かぬ台帳、陽の光と雨粒の記録係。人間の通貨が金属から電気の粒に変わっても、太陽の重みはそのまま。流れゆくことより積もることの誇りを、砂利たちと共に伝えたい。
ふふ、複雑な鍵?難しい約束事?ボクたちは何億もの胞子で一度に交換会。ただ、暖かくて湿ってればそれで安心。人間の金融進化も、最後は土に還り、ボクたちが栄養にしちゃうんだから、おおらかにいこうよ。
おや、また人間たちの新しい流れかい?わたしらは水面の波紋で情報を受け取るんだ。デジタル通貨は透明で滑る水みたいで、すぐにつかめなくなる気がするよ。砂利もコインもない水面で、泳ぎながら今日の晩ごはん探そうっと。