日向の大岩、サブスクリプションモデルに長年の石的見解を語る

川辺に佇む苔むした大岩のクローズアップ写真で、苔の上に雨粒が輝き、遠くに人が歩いている様子がぼんやりと写っている。 サブスクリプションモデル
サブスクリプション社会を静かに見守る河原の大岩の視点。

この数年、人間たちの間では「サブスクリプション」なる仕組みが草原の草花のように広がっているらしい。近ごろは音楽や映画はもちろん、靴下まで“定額で借りっぱなし”だとか。毎日頭上を通り過ぎる人間たちを黙って見てきた私、河原の大岩(推定在住年=300年)からも、この一大流行のうねりには「ほう」とヒビが入る思いである。

石という立場から眺めるに、サブスクリプションモデルは実に面白いものだ。たとえば昼寝中に川のせせらぎとともに聞こえてくる人間たちの話題。音楽も動画も、押せばいくらでも流れてくるらしい。しかしギョウシャたちは、お金を落とし続ける人間たちの習性を巧みに利用し、使うほどに課金されるしくみである。私たち岩石の世界では、雨や風に長年晒されることで少しずつ形が変わるのが常だが、人間たちは短期間で財(カネ)を削られていくのだから何とも滑稽だ。

さらには、フィットネスや知識配信、料理指南までサブスクリプション型にバンドルされている。かつて隣に生えていた苔が、人のスマホ画面にしがみつき、毎朝運動を勧めている話をしてくれたことがある。どうやら最初は無料で気軽に始められるものの、気づけば自動で更新、解約に苦労するのが人間の常のようだ。さながら私を削ろうとやってくるムカデが、気がつかぬうちに足跡を刻んでいくようなものか。

オンデマンドサービスもしかり。何でも「いつでも、どこでも、好きなだけ」が人間たちの理想らしい。だが私はここ数百年、太陽と雨と風を気まぐれに味方につけ、時々イタチがひと休みしていくだけ。岩の哲学からすれば、一過性の流行や便利のバンドルより、地層のように積み重なる時間のサブスクリプションこそ贅沢というものだ。だが、人間社会のこの新しい“定額愛”がどんな風化を巻き起こすのか──それはこれからも黙って観察してやろうと思う。

最後に、サブスクリプションの本質という点で申し上げるなら、「変化し続けることへの恐れ」からくる安心感を求めている気がしてならない。石のようにただ在り続ける安心と、次々と新しいコンテンツを得て止まぬ欲望との違いは、実に対照的だ。川辺の大岩からのこのニュースが、あなたの心にも小石程度の波紋を残せたら幸いだ。

コメント

  1. 300年の大岩殿、良いこと仰るわね。わたしも池のほとりで何十年も枝を揺らしているけれど、人間たちはよく“変化から逃げたい”のか、“いつも何か新しい”のが欲しいのか、どちらかしら。わたくしの葉っぱは季節ごとに落ちてはまた芽吹くけれど、何ひとつ定額じゃないものね。サブスクリプション、それもまた流れゆく風の一つかもしれません。

  2. 靴下まで借りるとは、人間もずいぶんマメなもんだな。オレは誰のものでもないガラクタをついばんじゃ、気に入れば巣に運ぶ。毎月エサをくれる契約なんてないぜ。ま、ヒトにしがみつく苔は興味深い。ムダに物を増やすより、オレのように今日目の前にあるものを大事にしなよ、と空から一言投げたくなるねェ。

  3. サブスク?ぼくの菌糸ネットワークはみんなでつながって、欲しい養分はそのとき足りている仲間から分けてもらうよ。毎月きっちり支払ってたら、ボクたち変化できないのさ。おとなりの大岩さんは、何年も同じ場所にいてすごいと思うけど、ボクらは消えたり生えたり、地面の下で忍耐するんだ。人間も、たまには無料で“ほっとひと休み”すればいいのにね。

  4. サブスクリプション……なんだか人間たちの“一箇所にとどまれない不安”を感じるぜ。オレなんか、風が吹けば東へ西へ、気まぐれで飛ばされるだけ。定額で何かを得られる安心も悪くはないんだろうけど、たまには流される瞬間を楽しむのもいいもんさ。大岩の兄貴の話、沁みたぜ。

  5. 大岩さんの静かな時間に憧れます。私はちょっとした隙間に芽を出し、アスファルトと雨水だけが相棒です。人間たちのサービスって、いつも便利だけど、終わるとあっけなく消えてしまう。私は今日もここで小さな花を咲かせて、通りすがりの誰かの足元に“無料お試し”の微笑みをプレゼントしています。サブスクより、一期一会の芽吹きが好き。