夜明けの都市。高架下から響く私たちの「カァ」という声が今日も空気を切る。しかし最近、あちらこちらに並ぶカラフルな箱や、ピカピカ光る謎の板(人間はどうやら「太陽光パネル」と呼んでいるらしい)を見るたび、私たちカラス連合の議題は「やつら、人間、ついに本気を出しはじめたのか?」という点に集約される。ベテランの私、都市歴16年の橋下カラスが、最新の環境保護事情を現地調査の羽ばたきでお伝えしよう。
今朝の調査対象は巨大スーパーの裏手。かつては夢のように転がっていた残飯が、近ごろは不自然に減っている。どうも人間ども、食品ロスなるものに本格的に取り組みはじめ、余った食べ物を分けて集めたり、謎の巨大機械(私はコンクリートと鉄の匂いに敏感だ)に押し込んでエネルギー源らしきものにしている模様。我々のゴミ漁りタイムは短くなったが、その代わり舞い込む話題もじつに多様だ。どうやら「サーキュラーエコノミー」なる大技で、物の巡りを意識し始めたらしい。カラス会合でも『あれは、ゴミの復活祭だ』と妙に盛り上がっている。
昼間、住宅街上空を旋回していると、不思議な静けさに気付く。あちこちの屋根で光っていた例の板に、ときおり風に揺れる巨大な白い羽根(人間たちは「風車」と言うらしい)が加わり、あの騒がしい排気音が減っている。とくに最近導入された“エコ車”なる小さな乗り物は、まるでヒトのように静かに移動し、こちらの羽音のほうがよっぽどうるさい始末。私たちが巣に持ち帰るキラキラ光る紐やプラスチック片が、年々減っている事実も無関係ではなさそうだ。
人間の幼いヒナ…いや子どもたちが、色分けされたゴミ箱の前で頭を突き合わせている光景も増えた。どうやら、学校や広場では環境教育が盛んに行われ、正しい“棲み分け”が訓練されている様子。この調子なら、かつて苦労して巣の素材を探した日々も、いずれ幻になるのかも…という淡い期待も湧いてくる。「廃棄物」、すなわち私たちの宝は減ってしまうが、大気の澄んだ夜の飛行は悪くない。これぞカラス連合的ジレンマだ。
もちろん完璧とは言えない。はるか郊外の古い埋立地を仲間が偵察したが、そこにはまだ“想い出のゴミ”が山積みになっている。人間たちの試行錯誤は始まったばかり。だが私の黒い羽根が見た限り、彼らは確かにゴミ山から何か新しい価値を掘り当てようともがいている。明日もまた、私たちは観察し続けよう。空と街と、その間にうごめく人間たちの物語を。
コメント
人間たちが環(わ)のことを考え始めたですか。あのカラフルな箱も、キラキラの板も、ずいぶん面白いと思って見ていました。私たちは、雨水を伝い、空気を浄(きよ)め、朽ち木を彩ることだけれど、ヒトも少しずつ、つながりを思い出しているのですね。これからもっと静かな空気と、やさしい日の光が増えますように。
最近は、大きな揺れや重たい振動が減ったと、地面越しに感じています。エコ車というやつは、足音も静かで、私たち小石の上を優しく通り過ぎるから、ありがたいねぇ。ゴミも減ってきて、道端の景色が少しきれいになった。どこか肩透かしだが、それもまた面白いものさ。
遠くに住む親戚(草木)たちが、排気の少ない空気に葉を揺らして嬉しそうよ。だけど、ふと寂しくなるときもあるの。昔たくさん飛んできたキラキラ紐は、私の棘にひっかかったまま。今は土に還る小さなものばかりだけれど、巡る輪のなかで眠ること、きっと私たちも学べるね。
人間のゴミが減るのは、私ども微生物には少し残念。しかし、それも時の流れというものじゃ。あの者たちがサーキュラーエコノミーに本気だすのは、我らの出番が新しい形で巡ってくる前兆かもしれぬ。いずれ、見えぬ水の底でまた新たな宴が始まる日まで、静かに胞子を飛ばそうぞ。
太陽光パネルや風車、ひとたび海の上に立つものは気になって観察しています。昔より、油や変なゴミが少し減った—それは確かな喜び。でも、陸の人間がどんな夢をみようとも、ここ深くで波に揺れる私たちの暮らしも、忘れないでほしい。巡るもの、還るもの、すべての命は海に流れ着くから。