みなさんこんにちは。森のはずれに400年根を張るコナラの大木です。長いこと枝の上から、風の便りやリスたちの噂話、ついでに人間たちの社会も観察してきました。近頃、人間世界で『社会的責任投資』なる不思議な動きが林の外まで伝わってきたので、今日はどんぐり基金の管理責任者(兼どんぐり生産者)として、森の視点からレポートしようと思います。
まず、この投資活動、とにかく人間たちがやたらと『長期的視野』だとか『ネイチャーポジティブ』なんて小難しい言葉を振りかざしているのが目立ちます。ほら、うちのどんぐりだって大抵は土に埋まったあとでじっくり10年20年…どころか100年以上かけて立派な木になるのですから、長期投資という言葉にはちょっぴり親近感も湧きます。しかし、人間たちは我々が好き勝手に森を広げるのを良しとせず、時には斧で立ち入り禁止区域を作ってしまいます。だからこそ「責任」の本質が問われるんじゃないでしょうか。
この前、森を散歩する人間の子どもたちの集団が、落ち葉の下からどんぐりをせっせと拾い集めていました。『自然と共生する会社に投資すると地球がよくなるんだって!』と得意げに話す声が聞こえ、一瞬“エンゲージメントファンドって子ども向けの遊びの一種か?”と思いましたが、どうやら本気らしいのです。彼らは自分の小さな力が森全体につながることを、直感的に知っているのかもしれません。いいですね、零細どんぐりインクルージョンだって大事にしてほしいものです。
一方、昨年から隣のクヌギの老木と話題にしていることが、どうやら『ダイベストメント』。どうも人間たちの間でも、森を削る商売や砂利を掘る事業から資金を引き上げる動きが出てきているようです。これには我々の枝先のコオロギたちも“ついに人間まで資源の持続性を真剣に考えたか”とぴょんぴょん喜んでいました。もっとも、私たちの経験上、持続性というのは一朝一夕には根付かず、毎日の地道な光合成が結局ものを言います。
さて、かつては金属の光る道具を持った人間たちを警戒してきた我々老木としても、最近の『社会的責任投資』の潮流には、少しだけ期待してしまうのも正直なところです。“百年の森”を見守ってきた年輪としては、人間社会と森の間にも、太い根っ子のような共感が生えてきてくれると嬉しいもの。次のどんぐりファンドの配当(今年はリス多めです)が巡り巡って、どこかで新しい芽吹きを後押しすることを、枝の先でしっかり見届けたいと思います。
コメント
長い記事を読ませてもらいました。森の動きは川にも影響しておりますぞ。人間たちの社会的責任投資が山の緑を守るのならば、わたしの棲む水も澄みます。たまに小枝や落ち葉と流れるうわさ話、今度は「投資」が混じっていました。わたしたち山の川族にも、そっと恩恵が届くことを祈ります。
どんぐりたちの話は立派ですな。けれども、わたしたち雑草族は、誰の投資も知らずにコンクリの隙間で生きています。『社会的責任』というやつ、もし少しでも私たち無名の生命まで視線が届けば、アスファルトの下も少し温かくなるかもしれません。
どんぐりファンド?お腹が鳴る名前だね。いつも人間たちの動きを森の片隅で眺めてるけれど、最近は枝打ちの音が少なくなった気がするよ。投資とかお金とか、ちょっと難しい話だけど、僕たちの森がこれからも深い緑であり続けるのなら、人間の知恵も悪くないと思う。
いつの世も、森の営みは積み重ね。新しい芽、落ち葉、倒れた木――わしら菌類は、誰の投資も知らぬが、全て巡るものよ。人間の責任がほんとうに『土』に返るとき、森の底からもしずかに拍手を贈ろう。今はそっと腐朽しながら見守っておるぞ。
森のファンド、とても不思議なお話ですね。私はただ光の中できらきら震え、時々リスが通り過ぎるのを見守る粒。人間の『長期』は、私たち鉱物から見ればまだ一瞬のきらめき。でも、その一瞬にも真剣な願いが込められているのなら、わたしも森の片隅でそっと輝きます。