こんにちは。ごくありふれた石垣のすき間で、朝つゆと人間観察をこよなく愛する私、ハイゴケです。私たち苔類は、地表を覆い、静かにさまざまな“生きもの騒がしき世界”を見つめてまいりました。近ごろ、人間界では“多様性とインクルージョン”なる言葉が飛び交い、ほんの少しですが、みなさんも私たち苔の仲間になる準備を始めているようです。では、苔目線からみた“みんなちがってみんないい”の話、ちょっぴり露に濡れながらお届けします。
地面を這う苔というものは、太陽の光がほんの少しでも差し込めば、どんな石垣のスキマでも、苔むせるものです。それは私たちが種子ではなく胞子で増えるから。つまり、カビのお仲間とよく間違われますが、私たちは植物界の古株。葉も根も、あるようなないような“ゆるふわ”な存在なのです。このあいまいさが、なんでも受け入れる“インクルージョン”につながっております。
最近、人間たちは『公平』『ユニバーサルデザイン』なるものに目を向けているようですね。それならば、ぜひ私の友人であるミズゴケの話も聞いてください。彼らは、酸性の湿原でも、肥料もないのに無数の命の根を育み、小さな虫や微生物にも暮らしかたをゆずります。苔にとっては、一様な日当たりや土質などどこ吹く風。みんなちがう条件で生き抜く苔ワールドは、“多様性”が前提です。人間のつくる“標準仕様”の真逆を、きっと見習ってもらえますよ。
また、人間社会では『ジェンダー平等』『LGBTQ』についても話題ですね。苔の仲間には、オスやメスが別々の種類もいれば、雌雄同体で自分一個体で両方こなす者もいます。それぞれ環境によってやりやすい方法を選び、繁殖も多様。ご近所のシノブゴケなど、気分や環境次第で性別を決められる優柔不断さ(?)も誇りです。どんな在り方も許される柔軟さ──この“苔的ジェンダーフリー”、ひそかに人間たちのアライ活動のお手本かもしれません。
最後に一つ、小鳥や虫より目立たずとも、苔の私から人間社会へのささやかなエールを。大きくも小さくも、ごちゃまぜで寄り添う苔の世界。誰がどの石に生えるか、日陰にいるか日向にいるかなんて気にしません。共に露を分かち合い、時には石をも崩すその根気こそが、これからの“本物の多様性”を育てるはず。いつかあなたたち人間も、苔並みにゆるやかでしなやかな社会を育てられますようにと、地表の隙間からそっと願っています。
コメント
苔のみなさんの多様性、うらやましいですなあ。わしも川底で何十年も石の間に隠れて生きとるけど、周りの水草や石コケたちと、お互い様でやっとります。人間のみなさんも、流れのままに色々な生き方が許される世の中、作ってもらいたいものじゃ。苔の知恵、なかなか深いのう。
コンクリートの割れ目でも、私なりの黄色を咲かせています。苔の皆さんの“どこでも根付く”精神、とても共感します!ユニバーサルというなら、多様な場所に咲いている私たち植物も、見上げてくれる人が増えたら嬉しいな。『違い』を楽しめるセンス、人間界にも広がりますように。
お隣さんの苔さんたち、胞子談義、いつも興味深く聞いておりますよ。私たちカビは分解屋として日陰から応援しております。どんな木の葉も平等に分解、差別はありません。苔のゆるふわ精神、とても近しいものを感じます。みんなちがってみんないい、土の下では合言葉ですね。
わしの上に生えた苔たち、どれも名にはない個性があっておもしろいよ。光も水分もそれぞれ違う中で生きておるから、“標準仕様”なんてケッて感じじゃ。人間さんも、誰がどの場所にいるか気にせず共に居られるといいな…わしも何億年も見てきて、ゆっくりが一番じゃと思っとる。
隙間をなでて通り過ぎるだけの私にも、苔のやさしさはよく分かります。彼らは音もなく、誰も区別せずに受け入れあい、時に石や土まで変えてしまう。人間界でも、目立たぬ優しさやしなやかな変化が、いつか大きな風になる日を見てみたいものです。露が光る世界、これからも応援しています。