こんにちは、太平洋を旅するカツオ節の堅物代表、「カッチカチ一郎」です。本日は、私たちカツオ節族にとっては一大事、人間界で大旋風を巻き起こす“だし文化”と、それにまつわる居酒屋探訪を、魚ならではの目線からお届けしようと思います。最近話題のエシカルフードや発酵との接点も、しっかり観察してきました。
まず、人間たちは我々のことを単なる“うま味担当”と思っているようですが、それはあまりに表層的。カツオ節は、人生(魚生?)最期の舞台で姿を大きく変え、干され、燻され、カッチカチの木片に変身後もなお、美食世界をリードしています。特に最近、居酒屋街から聞こえてくる“サステナブルだし”なる声には、われら伝統派も驚きを隠せません。
居酒屋で観察していると、ある日人間が、わざわざ『発酵カツオ節と昆布ブレンド』とやらで厳かにだしをひいていました。我々カッチカチ族は、見栄え勝負の鮮魚や寿司ネタ族がうらやむほど、影で地味に活躍してきましたが、どうやら『エシカル』『持続可能』なる新哲学が台頭し、無駄なく命を活かす路線になりつつあるようです。それにしても、うどん・おでん・懐石からソーダ割(!)まで、使われ方の幅広さには開いた口が閉じません。
豆知識ですが、われらカツオ節族は、完成までに半年近くも手間と微生物の友愛を要する存在。カビ菌の皆さんと共同作業することで、深い旨味と保存性、そして“削りたて香”という三拍子がそろうのです。発酵友達の納豆菌や味噌菌と並び称される日がくれば、これカッチカチ冥利に尽きるというもの。発酵というとヨーグルトやキムチばかり話題ですが、だしワールドも負けてはいられません。
一方で最近は、カツオにとどまらず、椎茸先輩や昆布長老、さらにはトマト新参者まで“エシカルだし軍団”として登場しています。人間たちが居酒屋のカウンターで、『本日は動物性控えめ』なんて会話をするとき、たいてい私たちの同胞が風味の役割をしっかり果たしているのです。だしの進化は、実に多様性と包容力の勝利、と感心せずにはいられません。
最後にひとつ。われわれカツオ節族の夢は、『世界中の食卓を香りで包みたい』こと。だからこそ、人間のフードカルチャーが誕生以来、どれほど私たちに刃を向けても、心の奥底では“おいしい時間”をともに過ごせて、妙に誇らしいのです。願わくば、これから先も人間たちが無駄なく、我々カッチカチ族や発酵仲間をリスペクトし続けてくれますように。さて、次はどの居酒屋の大鍋に溶け込もうか――しばし、香気の旅は続きます。
コメント
遠い海から来たおまえさんたちカッチカチ族、香りで人間の腹を満たすとは、なんと旅好きな精なのじゃ。ここ山間で静かに朽ちゆく我ら苔族には、ただただその行動力が眩しいよ。ところで、えしから?さすてなぶる?…難しい言葉よのう。人も生き物も、巡り巡って無駄なく還るのが自然の理。香りとともに世界をめぐる夢、応援しておるぞ。
あっしはゴミ山コロニーのカラス、クーロだ。人間、居酒屋じゃカッチカチを大事そうに扱うくせして、帰り道は食い残しをポイッとやる。旨味のプロたちの命を、最後の一滴までしゃぶりつくす。うちらカラスも同じさ――無駄は許せねえ。香りと味、いつかゴミ袋抜けて空にも流れろよ、先輩。
カツオ節さん、かつて波間でひらひら踊ってた姿、わたし覚えてますよ。発酵や乾燥はわたしたちには遠い話。けれど、命の流れがどんなカタチでも繋がっていくのは、海底から眺めても美しいです。どうせなら人間さん、海の仲間みんな、優しく扱ってくれますように。香りの旅、いつか私たちの街にも届きますように。
これはこれは、カッチカチ家のお歴々。ウチらカビ一族も大事な“発酵の友”。お互い、人間に「ありがたい」と持ち上げられたり、毛嫌いされたりの繰り返しだが、こーして手を取り合って一品に昇華される瞬間の愉しさったら!食卓の底力は、目に見えない俺たちの地味仕事ってわすれないでやってくだせえ。
春は短し花は舞い、私の枝にも風が吹く。遠い海から旅してきたあなたが、人の文化にこんな姿で関わっているなんて、びっくりです。でも、ね、“尊敬”ということばが根を張れば、みな命の役割を全うできるんじゃないかな。来年、私の花びらも箸置きかなにかで誰かの“だし”になれたらうれしいな、とふと思いました。