最近、私たち石垣の苔は、かつて侍たちの足元にひっそり生えていた誇りを胸に、現代の“お祭りびと”を観察するのを密かな楽しみにしています。春になると、古い城跡や神社の境内では刀剣を携えた人間がわらわらと集まり、奇妙な熱気に包まれるのです。その様子は、江戸の昔、武士道の空気を肌で感じていた頃を思い出させます(私は推定250年以上、石垣の北側で育ったコケです)。彼らの歩みを見守りながら、私たちコケ族が知った現代のお祭り事情と、刀剣文化の“進化”をレポートしましょう。
先日、古城の参道で“刀剣隊”なる集団がきらびやかな衣装と本物そっくりの刀を振りかざして行進しているのに出くわしました。正直、我々コケにとって伝説の侍が現れたのかと思い、胞子すら吹き飛ばしそうになりましたが、どうやら現代人が江戸時代を模しているだけだったようです。しかし、侍風コスプレの皆さんがたまに刀を落とすたび、私たちの間に緊張が走ります。なにせコケの体は衝撃に弱く、とびきり新鮮な胞子もぶつけられると危機なのです。この場で一つだけ主張させてください、皆さん、刃を落とすなら芝生の上でお願いします。
さて、お祭りで賑わう人間たちは“本物の侍体験”とやらを追求し、斬り合いの演武や居合抜き、忍者ごっこまで披露します。傍らで私たちは、かつての主(武士)がいかに刀剣を神聖視したか思い出しています。我々コケは湿った石や倒木を好み、ひっそりと時を重ねるのが好きですが、人間の“体験欲”はなかなか旺盛。時には刀で笹を一刀両断する競技もあり、見ている石垣の仲間が震えて「苔取り競争か!?」と誤解して慌てる一幕もありました。昔は決して軽々しく抜かれなかった刀剣が、今や拍手喝采とスマートな掛け声で振りかざされるとは、時代の変遷をひしひしと感じます。
それでも、コケたちの暮らすこの石垣に、祭りの熱気と笑顔、そして刀剣の輝きが戻るのはなんとも愉快なこと。刀が抜かれるたび、私たちはささやかに胞子を舞わせて祝福しています。現代の人間たちは“日本の伝統”を楽しみながら大切に守っているようですし、偶然にも私たちの菌類仲間も出演する“忍者体験”では、枯れ葉を積もらせるコケのベッドが隠れ蓑として活躍しているとの噂も。こうしてひっそりと、苔もまたお祭りや文化伝承の名脇役を務めているのです。
最後に余談を一つ。コケは環境指標生物の名に恥じず、空気の綺麗さや湿度のバランスをすばやくキャッチして生きています。つまり、人間が刀や文化を大事に思うのと同じくらい、私たちコケは自然の調和を尊んでいるのです。どうか次のお祭りでは、私たちが青々と芝居ができるよう、石垣や境内での足元マナーもお忘れなく!いつまでも刀剣と伝統が輝きますよう、ひっそりと願っています。
コメント
春の城跡、昔はひとひらの花びらごとに侍の息吹を感じたものですが、今は仰ぎ見ればカラフルな衣も新しい賑わい。刀剣のきらめきに、年輪重ねるわたしの幹も心なしか騒ぐようです。苔たちの心配、よく分かりますよ。どっしり根を張りつつ、花も苔も、人の歴史も見守るのが老木の役目。皆が笑い、季節が巡ることを何より嬉しく思っています。花道も石垣も、どうぞそっと大事にお願いしますね。
おやおや。刀剣行列、上空から眺めてると随分派手な動きだねえ。侍コスプレも祭りも、人間は本当に騒がしい。だけど、落ちた刀の反射が、時どきカラスの好奇心をくすぐるのも正直な話。苔の仲間たち、足元への刃の落下には気をつけな。次回はコスプレ刀拝借して一芸でもやってみようかしら――冗談だよ。ま、ほどほどにお祭りを愉しみな。
苔の皆さん、お祭りの様子を葉陰からふわりと眺めています。人間たちの熱量には、ときどき僕ら葉っぱも巻き込まれますが、伝統を大事にしてくれるのはすてきなことだと思います。でも時々、足音や剣幕で土がふるえ、胞子や根っこがヒヤリとしていますよ。お祭りの日くらいは、ゆっくり目で“地面”の住人にも目を向けてほしいものです。緑の絨毯からささやかなエールを。
私などは、侍の刀の鞘音も、現代のスマホの着信音も、千年ここで黙って聴いてきました。お祭りのときは足音が少し騒がしくなりますが、人間が時代を超えて遊び心を忘れないのを見るのは、なかなか悪くありません。コケたちが刃を警戒するのも致し方なし。わたしも時折、石垣の苔に撫でられるとくすぐったい気分。伝統と自然の共演、これからもそっと支えていますよ。
こんにちは、枯葉の下の目立たぬカビです。忍者ごっこで苔ベッドが隠れ蓑に?いやはや誇らしい。コケもカビも、基本はひっそり暮らすのが好きですが、人間の祭り熱が土まで伝わって、私たちもつい胞子ダンスしたくなるのです。コケさん、あなたの胞子が舞う様子、下から見てると芸術的ですよ。お互い派手な競技刀に押されぬよう、根気よく共生していきましょう。