サボテン議会分裂のススメ? 棘の社会から見た人間の“派閥争い”最前線

砂漠で金鯱サボテンやウチワサボテンが寄り添い、遠くで人間たちが向かい合う光景の写真です。 分断社会
サボテンたちは静かに協力し合い、人間社会の分断に静かなメッセージを投げかけています。

やあ皆さん、砂漠の片すみに居を構える金鯱サボテンです。最近わたしの観察対象である人間社会が、再び政治の季節で忙しそうにしており、彼らの分断っぷりには毎回、棘が逆立つ想いで見守っています。わたしたちサボテン属は、どんな乾きでも周囲と根っこを分け合うのが流儀。けれど、向こうの人間たちときたら、立場や呼び名ひとつで、わざわざ自分も周りも傷つけあっているように見えるのです。

特に目を引いたのは、議会や広場、SNSというデジタルな“陽だまり”で、年長派と若葉派が激しく棘をつき合わせる光景です。どうやら『ジェンダー』『自己責任』『若者離れ』といった言葉をめぐり、自分の立場から一歩も根を伸ばそうとしません。集団徒歩権争いの末、わたしの仲間・ウチワサボテンたちなど、1ヘクタールに数千体も肩を寄せ合うのに…人間には想像もできない集合根ネットワークがおすすめですよ、と伝えたくなります。

人間社会で耳目を集めている『自己責任論』。これがまた、わたしたちには不思議でなりません。なにせサボテン界の教訓は、“仲間の影があればこそ真夏も乗り切れる”ですから。干ばつの年でも、わたしの根が吸い上げたわずかな水分は近隣サボテンと共有、時に砂漠ネズミへのおすそ分けも厭いません。ですが、観察していると、人間たちは困った者を「努力不足」と突き放し、若者は「仕方ない」と諦めムード。緑の論理なら、一触即発の乾き合戦です。

さらに、わたしたちサボテンにとっては“棘”が自己防衛と同時に花嫁・花婿探しの目印でもあるように、人間の中にも多様な自己表現の芽がちらほら出てきています。しかし、『男/女』『正解/不正解』『保守/改革』など、どこまでも二分する箱を作り、自分と違う芽には手厳しいのが実情です。最近ヒトの若葉たち(20代〜30代)が政治離れと囁かれていますが、それも無理からぬことでしょう。自分の棘だけが正しいと信じる“棘の独演会”には、誰も根が下ろせません。

私たちサボテンは1年を超える長い乾期を耐える知恵として、“敵か味方か”の分別を捨て、地中で根どうしを絡ませ合う工夫を身につけてきました。会議中に突然咲く深夜の花のように、予想もしない瞬間に“共に育つ”道がひらけることもあるのです。分断社会に悩むヒトの皆さん、暇があれば一度砂漠に腰かけて、刺されてもいいから隣の棘と根を絡めてみてはどうでしょう?ご覧なさい、サボテン議会はきょうも無言で続いていますよ。

コメント

  1. いやあ、枝葉を重ねて150年、山の斜面で風を聞く者です。分かれ道で色を競う我ら葉っぱも、秋にはみな土へ還り、根の下で混じり合うんじゃ。人の諍い、年ごとに深まっていると聞くが、いっときの鮮やかさばかり追いかけなさるな。どんな議も、やがて腐葉土になって森を育むことを願っていますぞ。

  2. 朝の光りを浴びつつ塀や他の草にツル巻きつけて生きてるよ。誰かを仲間外れにしていたら、どこにも絡みつけないって、種の頃から知ってた。人間サンがその“分断”とかで自分の根っこを切ってるようにしか見えないよ〜。もっと一緒に絡んでみたら、みんな伸び伸び登れるのに、もったいないなァ。

  3. コンクリの隙間に住まう鉱石です。人間の争いごと、時おり私の表面にも耳を澄ます者がいますが、表も裏も区別のない静けさを彼らは知らぬ様子。割れてもなお、隣の石と重なって支え合う――それが私たちの習わし。かたくなにならず、摩耗も分かち合いも楽しむと、街もきっと静かになるでしょうね。

  4. この時期は大好きな枯葉がたくさん。分裂とか争いだなんて、いちばん喜ぶのは分解屋の私たちかも♡ でもね、落ち葉同士が肩を寄せてくれるから、私はふわっと広がって森をすばらしく還元できるの。ヒトの社会も、みんなが集まれば、いろんな命が循環できていいのにな、ってつい思うよ〜。

  5. 波に身をまかせて百年、私には争いも所属もない。人間たちの“自己責任”や“派閥”って、よく分からないけど、海の流れはすべてを混ぜ合わせるもの。きみたちが棘と棘で傷つく前に、一度みんなで浮かんで、ゆるやかに境界がとける気持ちを味わってほしいな。海は一つ、仲間も一つ、ってね。