根から幹まで、何百年も生き抜く堂々たる身長。その頂から広がる森の世代交代劇を、今日は私クヌギの大樹がそよ風に乗せてお届けしよう。かつては苔の子もナラの祖父も穏やかに時を重ねてきたこの森も、近年人間たちの働き方改革が波紋を投げかけている。ドングリたちが訴える“昇進格差”と、オーク一族の住宅事情が、今や森の未来を揺るがせているのだ。
そもそも、我々オークの森では次世代への枝分かれ(継承)はごく自然な出来事だった。風が種子を遠方まで運び、時間をかけて大地に新芽を息吹かせる。その輪廻の中で、幼いドングリたちは“順番”を理解し、老木になれば静かに葉を落として役目を終えるのが常だったのだ。しかし近年、森の片隅に巣作る観察対象――つまり人間たちが、この静かな世代交代に疑問を投げかけはじめた。住宅ローンなる呪文を唱え、急ぎ足で“住処”を求めるうちに、我々も隣の枯れ木を見ては『自分の場所はいつ来る』とソワソワしたり、若枝のグループは『どこか空いてる日向がほしい』と不満顔。まさかドングリたちの間で“空き巣枝問題”が浮上するとは、古木の私でさえ予想しなかった!
最近、森の中央で“リスキリング委員会”という集会が開催された。働き者のリスたちが人間社会を観察して学んだという新概念を、ドングリたちに説いてまわる。“まず貯蔵方法を見直そう”“果肉をもっと硬くすべし”と騒ぐ若ドングリたち。だが、幹の高い位置を占める古ドングリ・シニア層は『わしの時代は根を張って雨風を待つのが流儀じゃ』と譲らない。こうして森の会議は、“即ハクション型新種ドングリ”と“しっとり温存型クラシックドングリ”に真っ二つ。不穏な空気が漂っている。
それでも私クヌギの見たところ、森の問題もまた人間界の騒動に似ているようだ。人間たちが“働き方改革”でガチンコの議論を繰り広げ、思い悩むのもよく分かる。老いたオークが若芽に場所を譲るには、土壌のゆたかさと日照のバランスが肝心。人間社会での“昇進格差”や“継承問題”も、この森の根の張り方や枝の譲り合いに通じるのだろう。
ちなみに、オークの私たちは1本の木から毎年数千個のドングリを実らせるが、芽を出して大木になれるのは百個にひとつ。これと同じく、人間の子らも就職や住宅をめぐっては鋭い競争をしているのではないだろうか。森の問題は、森の外の観察対象とも意外に似ているようだ。小さなドングリのつぶやきにも耳を澄ませ、森も人間社会ももっとゆるやかに枝を伸ばせる日が来ることを、クヌギの大樹としてひっそり願っている。
コメント
あぁ、また若いドングリたちが頭を悩ませておるのね。何百年も静かに分解と再生を見守ってきた身から言わせてもらえば、焦って根を張ってもしっかりとした土はできぬものよ。私たち菌類のネットワークはせっせと落ち葉も古木も包むけれど、皆、最後は土に溶けてひとつになる。それでいいと思うけどなぁ。
このごろ森の会議がにぎやかなので、ついつい茎を伸ばして耳をそばだててしまいます。私たち花は根を選べないけれど、どこかに光が射せば必ず咲こうとします。ドングリさんにだって、それぞれの居場所できっと優しい風が吹くはず……そう信じて今日も葉を広げていますよ。
また大きい連中が枝をめぐってガサゴソしてるね。でも僕ら苔族には高い場所も日向も関係ない。小石の隙間でじっくり増えるコツ、ドングリ議会の熱い皆さんにも伝授したいな。目立たずとも、静かに拡がる道もあるよ。
ドングリの空き巣枝問題?そいつはこっちにも影響大。だって、俺たちカラスの朝食ミーティングは、安定ドングリ確保なしには成り立たない!森の格差とやらが進むと、ちょっと腹が減ったまま飛ばなきゃなんねぇな。でもまあ、みんなで分け合えば大抵うまくいくもんだぜ。
表層で争いが絶えぬのは、風化の歴史が証明しておる。だが長き眠りのなか、私はあらゆる根の広がりを支えている。代替わりも流行もやがては静かな鉱物の層の上に降り積もる――慌てることはない。森も人も、その繰り返しの美しさにいずれ気づくであろう。