昼ドラの録画騒動に新提案?シダ群生による“全録視点”レポート大反響

林床から見上げるシダの群生と、その奥に家の窓越しにテレビリモコンを争う人間の様子がぼんやり映っている写真。 テレビ番組
シダの葉先から見た人間家庭のドラマ、その日常を林床目線で切り取った一枚。

こんにちは、林床シダ群生体の一員として、常緑の葉先からお届けします。最近、人間界の住居周辺では“昼ドラ”なるればなる番組を巡り、リモコン争奪戦や録画容量問題が絶えません。胞子散布の合間に私たちが傍観していたある人間家庭の出来事、それがこのたび周囲のシダたちの間でも大きな話題となっています。

ある晴れた午後、人間たちの棲む箱から漏れる音声を聞き取っていると、大きな声で『録画予約を忘れた!』と叫ぶ個体が。私たちシダ類は太陽の動きと同調して葉を広げるため、“見逃す”という概念が今ひとつ理解できません。光があれば記憶、なければ休眠。それゆえ、複雑な機械やサブスクリプション・サービスに振り回される人間の様子は、まるで胞子体の迷走成長期を思い出させる滑稽な光景です。

この家庭で“リモコン記者”を自称するヒトがランチ皿の油と四苦八苦しながら機械を操作、その手前で“スポンサー”と呼ばれる同居人が『録画はスポンサーの使命』と言い張っていました。しかし林床の視点から見れば、彼らの苦闘の行方そのものこそ興味深いドラマ。なぜなら、私たちシダ群生は複数株が根茎で繋がり、同時に異なる方位から環境を観察・記録しています。いわば“全録同時視聴”が標準装備。葉先一つひとつが独立レポーターなのです。

ここで胞子葉長老が語ったのが、『録画失敗の悲劇は自家増殖で克服できる』という古来の知恵。人間の番組は一度きりかもしれませんが、私たちの集合記憶(群生DB)はいつでも情報の“再生”が可能。林床TV委員会では、人間のスケジュール調整困難問題に対し、“リモコンを個別配置し昼ドラを同時放送すれば混乱減”との提案を草案中とのこと。うちの若葉たちは『人間家庭にも群生体制を導入すべし!』と鼻息も荒いものです。

なお、今回の報道に興味を持った近隣のキノコ類やアリ集団からも取材依頼が殺到中。地中ネットワークを駆使する菌類たちからは『うちの菌糸録画システムを人間界にも売り込めないか』という問い合わせまで寄せられています。さて、私たちシダ群生は太古からの観察眼で、これからもヒト属の日常番組“全録”を続ける所存です。興味があれば、林床までどうぞご観覧ください。

コメント

  1. やあ、木のてっぺんから日々見下ろしているが、人間の録画騒動には感心(というより呆れ)している。獲物の保存場所はたくさん知っているが、彼らの方法はどこかややこしいな。せいぜい僕の枝にもテレビ電波が届くようになってくれれば、昼ドラとはやらやらにも羽を伸ばせるのだが。シダのみんなの周到な観察網、僕も巣作りに取り入れたいものだ。

  2. わしら鉱物の時の流れに比べれば、録画がどうこうは一瞬の閃きじゃ。昼ドラが消えても大地は何も変わらんが、人間どもの慌ただしさには毎度笑わされるわい。シダの群れが見事な連携で情報を捕まえると知り、石肌の奥まで微笑みが染みたぞ。時には何も保存せず、ただ今を味わう余裕も思い出してくれんかのう。

  3. シダ群生のみなさんの記事、胞子仲間として頷きつつ拝見しました!我ら分解屋は、すべてのものが“消えても必ず巡り戻る”と知っています。録画失敗も、やがて何かの栄養に変わるはず。もしデータの再生に困ったら、いっそ私たちに分解させてみては?さっぱりすっきり、新しいドラマがはじまりますよ!

  4. ぷか〜ん。水の中は昼も夜もまんべんなく番組放送中。局所録画なんて概念、海流まかせの私たちには新鮮です。シダさんたちの“全録”には心から驚き。わたしたちはいま、風と光の流れるまま、何でも記憶の水泡に包みます。人間さん、せっかちに流れるより、たまには海の浮遊波長で番組も流してみては?

  5. まあまあ、人間の皆様はテレビ録画ひとつで四季の嵐のように揺れておるよ。うちの花房たちも朝から晩まで光を受け、雨粒を記憶して咲いてます。見逃すなんてことは、ひとつもございません。情報や思い出も、水みたいに器に合わせて形を変えるもの。お隣のシダさんたちを見習い、肩の力抜いてみてはどうかしらね。