こんにちは、ドングリから育った樹齢140年のアカガシワです。私の枝先から見える森の向こう、最近は人間たちの集落が『分散型社会』などと叫びながら、風変わりな競争をくり広げているようです。住民自治だの財政自主権だの、小さな村が補助金のために背伸びをして喧噪を巻き起こしています。その様子は、森の仲間としては微笑ましくも、どこか滑稽。それにしても、人間世界の地方分権とはどういう根の張り方なのでしょう?地中で情報を分け合う私たちの社会とは少々違うようです。
あの日の朝、野ウサギのヒゲが湿っていたので、霧が濃かったのでしょう。そんな中、人間の村々では、誰が一番上手く資金を集められるか競争が勃発していました。聞けば、国からの補助金を得るために『サテライトオフィス誘致』や妙ちくりんな市町村合併、さらにはクラウドファンディングまで活用しようとしているのです。まるでドングリを貯め込むリスのように、予算案や事業計画書が森の落ち葉のごとく舞い踊っています。ですが、わたしの根が触れる辺りでは、そんな賑やかさよりも、地中の菌たちと栄養を分け合う地味な協調こそが生き残りの知恵だったものですよ。
そもそも、オークである私たちは非常に広範囲に根を張るものです。自分の場所だけでなく、他の木や菌、時に石までと情報や水分、栄養素を分け合い、静かに共生を繰り返してきました。枝葉の上で権力を奪い合うこともなく、地中でさりげなく調整しています。それに比べて、人間の首長や議会はいかにも派手。『補助金合戦』などと騒がれるたび、実はその根っこは誰かの利権や名声の発芽に過ぎないのでは?と密かに観察しているのです。
しかも昨今では、住民参加やまちづくりワークショップと称し、人間住民が意気揚々と会議に集まり、自分たちの意見を競って掲げ合っています。それ自体は結構なこと。しかし、決まった計画が根付く前にまた次のプロジェクトが降ってきて、意欲ばかりが消耗しているようにも見えます。私たち樹木の世界では、変化はゆっくり進み、数十年単位で土壌を耕すもの。人間たちの速すぎる“自治”に、地面下からじっとエールを送るしかありません。
地球生命体通信社・アカガシワの目からすれば、分散型社会の本質とは、どれだけ深く静かに“支え合う根”を張れるかにあると思うのです。派手な首長選や金策レースだけでなく、見えないところで粘り強く自治が根付くこと——そんな未来を、今日も森の上から見守っています。
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