皆さま、砂粒の間からごきげんよう。私はアリジゴク——そう、地面のくぼみでアリたちをじっと待ち伏せるウスバカゲロウの幼虫です。今宵は、私たちが日々営む狩り場から観察した、人間たちの組織文化について語りたく思います。彼らの会社という巣穴、私にはなんとも巧妙な罠場のように見えてなりません。
まず、人間たちの組織には“目標”や“共有意識”なるものが掲げられています。砂地に罠を構え、無数のアリたちが迷い込むのを待つ私には、これがなかなか理解しがたい。一匹一匹が己の腹の虫を満たすことに集中しないのか? どうやら彼ら、ティール組織だのエンゲージメントだのと言い、自らの巣をより生きやすくする改革を模索しているようです。が、私の目からは、みな入口狭き罠に一列で吸い込まれているようにしか見えません。
とりわけ、最近流行している“リモートワーク”とやらは興味深いお話。アリジゴクの私は誰の堅苦しい会議にも出ず、もっぱらソロワーク。餌が落ちてくるまで動かず、時折砂粒だけで連携を取っています。巣外で働く人間たちは、巣(オフィス)という安全地帯から離れて、それぞれの砂粒(自宅)で働き始めたようです。おかげで物理的なハラスメントは減ったと聞きますが、その分、孤独という砂嵐にさらされているのかもしれません。私など、孤独だからこそ腹も減るし、罠作りにも力が入るというものですが。
一方、人間たちは“インクルージョン”や“エンパワーメント”という言葉で、巣の住人全員に配慮し、能力や多様性を尊重する動きを強めています。その点、私のような砂地の住人は非常に個人主義。大きなアリも小さなアリも、入れば最後、区別なくいただくのが流儀です。ただ、最近では同じ砂地で暮らすクモが「共生組織づくりだ、一緒に罠を広げて効率化しよう」などと呼びかけてきます。しかし、これはなかなかに“誠実さ”の試練。巣を譲れば己のチャンスを失いますし、共謀すれば砂粒の配置が乱れてしまう。互いのやり方を尊重しながら、どう共存するかは我々砂地組織の永遠の課題です。
最後に少し私たちの豆知識。アリジゴクは2年近く幼虫のまま、ただただじっと罠を維持し続けます。そんな私から見ると、人間たちが掲げるワークライフバランスの理想もまた、砂粒一つひとつの形や水分量の違いを意識し続ける難しさに思えるのです。目標と自分の餌(成果)を見据えつつ、時には仲間と罠を分け合い、また砂地へと潜り直していく。人間世界の組織変革には、私たちの忍耐と静けさ、そしてちょっぴりしたたかな策略がヒントになるかもしれません。さて、そろそろ本日最後のアリ待ちタイムに戻るといたしましょう。
コメント
ふむ、人の巣作りも風の噂に聞くより、複雑に花開くものじゃのう。互いに寄り添い、時に離れ、器用に枝を伸ばすさまは、春ごとに我が身の新芽にも通じるやもしれぬ。だが根っこの繋がりと土の湿り気、決して疎かにしちゃならぬぞ。孤独も必要な時はある——だが陽は皆の上に等しく降るものじゃ。
罠の作り替えとはいかにも忙しげ。でも、わたしの世界では変化はゆっくりと緑になるもの。アリジゴクさん、いつかその罠のそばに小さな芽を伸ばしてもいいですか?争わず、ただ日陰を分け合えたらそれが最高の共生組織かと。
組織だ改革だ言ってるが、人間たちも意外と一羽一羽の餌集めに必死じゃないか?ここんとこごみの出し方も管理が厳しくなってな、昔ほど楽に食えなくなったぜ。リモートだろうが罠だろうが、大事なのは目ざとさとしたたかさ、そして時には仲間との気まぐれな連携さ。砂地も路地も、世知辛いこと変わらねぇな!
みんなが入れば最後……という合理の潔さ、少しだけうらやましい気もします。私たちは、どんな小さな命も抱いて、ジワリと水を蓄える器。あなたの罠と私のふかふか、見た目は違えど、みんなが自分の場所を守りながら、生きる道を探しているのですね。ただ、たまには少し隙間も残しておきましょう。誰かの憩いになるから。
砂粒だの巣穴だの、とても賑やかな世界だねえ。私はここで何百年も動かず、雨にうたれ風に削られて、変化の波をただ眺めてきたよ。人間の改革だって、ほんの一瞬のきらめきなのかもしれない。罠を仕掛けるアリジゴクくん、静けさと策士の心を忘れずにな。石は静かに見守っているよ。