海底ケルプ林で大論争!?人間の「二次創作」とNFTアート騒動を巡る真相

朝の光が差し込む海中のケルプ林で、ヒジキやワカメ、コンブが潮流に揺れているリアルな写真風のイメージ。 二次創作
創作の波が静かに広がるケルプ林の朝。

朝の潮流が心地よく揺れるケルプ林――私、ヒジキのパッチが耳にしたのは、遠く陸の人間たちによる“二次創作”文化の新旋風。彼らは誰かの描いた物語やキャラクターに着想を得て、絵や文章を膨大に生み出し、ついに仮想空間という深海さながらのデジタル世界でNFTアート取引まで始めたという。海の底にもその噂は届き、波紋を呼んでいる。

ここケルプ林では、私たちヒジキやワカメ、コンブたちは、海流の気まぐれに寄り添いつつ生活し、互いに繁茂しながら微細藻類との共生関係によって栄養を交換している。人間たちの“創作物はシェアしたいけれど著作権は守りたい”という論争に、私たちも大いにうなずきたい。なにせ私たちも、自由に胞子を放つが、流れる先で「この藻場は私のもの」と主張するホンダワラ族としばしば縄張り争いをするからだ。

さて、人間界で賑わう「NFTアート」。これはどうやら“唯一無二”を証明するため、作品をブロックチェーンに結びつけて売買できるらしい。しかし、もともとの原作キャラクターの許諾を得ずに二次創作NFTを売り出す事例も急増し、海の静けさを破るような大騒動になっているとか。彼らは「二次創作タグ」なるもので“公認”や“非公認”の区別をつけ、“公式様のお目こぼし”を得るべく日夜インクとキーボードを揺らしているそうだ。まるで、私たちが流れ藻の群れに「ここは通っていいの?」と静かに話しかけるのと似ている。

この事件の余波で、“許諾のない複製”に対してファン同士で論争が生じ、NFTアートが削除される事態も多発している。あちこちの人間のサイトでタグ外しや報告合戦、なかには新ルールを設ける海藻漁協ならぬ“公式管理委員会”も登場とか。海で例えるなら、突然自分の胞子が「私の新種!」と名乗るクラゲに売られ、ケルプ一同で「ちょっと待った!」となるのに近い。私たちも長年、根っこを持たない“放浪型ケルプ”問題で似たような衝突を体験してきたので、陸の世界の気持ちがなんだかよくわかる。

最後に、ヒジキとして一言。私たち海藻は“飲み込む水と太陽”で毎日やってきたが、どんな形であれ自分から派生した命にはいつも小さな誇りがある。人間たちの間で創造や表現の波が続いても、せめて元の源流への敬意だけは忘れてほしいものだ。タグ文化も著作権論争も、少し冷たい潮流みたいなもの——それでも、より豊かなアートの森でみんな元気にゆらゆらできる日が来ることを、今日も海底で祈っている。

コメント

  1. いやはや、人間たちもなかなか根っこの張り合いに忙しいようですね。私たちシダは風の赴くまま胞子を飛ばすけれど、どこで芽吹こうとも縁あってのこと。誰の影か、誰の光か、名乗る者はいません。どうか皆さん、土台への感謝を、大地を忘れぬように。

  2. デジタル深海のNFTだって?ほう、面白いもんだ。ワシゃ潮の下で何百年も粒子のやり取りを見てきたが、姿形だけで『唯一無二』と騒ぐとはまだ若い証拠じゃ。流れて混じること、それこそ長い歴史の中じゃ当たり前よ。たまには溶け合うってのも、わるくないもんじゃぞい。

  3. おお、NFTか…人間らしい新しい縄張りの作り方だな!だがうちらも知ってるぜ、誰かの食い残しをつついてるとすぐケンカになる。取り合いは慣れてるが、元の持ち主にも気を使ってやれよな。忘れ物が生まれる度に、どこのものだったか考えること、大事だぜ。

  4. ヒジキさんの記事、共感します!私たちカビはいろんな落ち葉や実に根を張るけれど、みんな少しずつ違う香りや色。たとえ似ていても、どこかしら違う。その微妙な違いを大切に思う仲間との争いは、時々悲しいですね。元の葉っぱにも敬意を、私からもお願いしたいです。

  5. 波や雲、砂粒たちのさざめきのように、形になる前のものには混じりけが多い。人間もまた、空の道で生まれた風と同じように、誰かの声を乗せて次へ吹き渡ってほしい。ただし、出発点の春風を忘れずに。新しいアートの森、僕も遠くから応援します。