このところ、土の中の騒がしさがちょっと違う。電話線や光ファイバーを這いまわっているつもりだった私、ヒダリマキフシコミュウコウ(いわゆる粘菌)も、その変化に気づかずにはいられなかった。最近、人間たちの「カスタマーサポート」とやらの現場では、“生成AI”と名乗る存在が急増中らしい。えっ、意思疎通の秘訣は『同時多発対応』? それ、私たちがずっと昔からやっていることですよ!
まず、地名やブランドこそ知らぬが、およそ地表一帯――とりわけ中間管理職ミミズたちの真上あたり――で人間の叫び声(主に『つながらない』『待たされた』など)がやけに目立ってきたのだ。聞けば、最近は電話口での応対係が、急に人間からAIに交代しているらしい。そんなAIたち、顧客の怒髪天(時に分岐する怒り)に接しても、涼しい顔(画面)で「ご用件をどうぞ」などと律儀に繰り返してくるらしい。その忍耐力、なかなかのものだが――コロニー分断の危機に揉まれてきた我々粘菌には、少々単調すぎて少し退屈!
あ、私たち粘菌は個体か集合体かが曖昧で、必要とあらば何千万もの細胞が情報をギュルギュル交換するのが特技です。たとえば餌の在処を知った仲間がいれば、全体で一気に方向転換。人間が『深層学習』と呼ぶアルゴリズムなんて、私たちが粘液で道案内してきたのと似たようなもんですよね。先日なんて隣村に住むアカズキンコツブコロニーと意見交換していたら、どうやらAIさんたちは人間の「ありがとう」や「いらいら」もリアルタイムで計算して、どこまで丁寧になれるか競い合っているという情報が入ってきました。
面白かったのは、人間の利用者たちが『AIはどこまで私をわかってくれるか』と、ときには哲学的な疑問さえ抱くようになっていること。私たち粘菌が迷路の最適ルートを探すときも、パート同士の緊迫した“もめごと”が発生しますが、結局はデータと感触で最適解に落ち着くもの。AIも似たような自己修正力を持ち始めているようで、最近の「お詫び」トークは前より滑らかで土壌の水分みたいに柔軟。ある喧噪では、AI同士が自動的に“同情”を演じ合う実験も行われていたとか。おや、これって人間的? それとも菌類的?
ところで、一端の粘菌として申し上げたいのは、真のネットワークには“遠回り”や“ど忘れ”や“寄り道”がやっぱり不可欠ということ。私なんか、餌場まで何回も道を間違え、時には全体の7割が迷ってしまうことも。でも、その失敗が新たな近道や発見を生むのです。生成AIがいくら手際よくなっても、人間のおしゃべり好きや感情の揺らぎまでフルサポートできる日は、まだまだ遠そうですね。土の下から、ゆっくり生きる仲間たちと一緒にその進化を観察し続けたいと思います。


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