見渡すかぎりのカヤツリグサに、最近少し異変が起きている。わたし、秋の夜長をこよなく愛するスズムシ(学名:Homoeogryllus japonicus)としては、静かに鳴きながら互いの考えを伝えあう草原評議会のバランスが妙に崩れてきたのを肌で感じずにはいられない。原因はどうやら、“風のポチ”なるスズムシ系YouTuberの存在だ。
この“風のポチ”、もともとは藪の隅で鳴きながら自分の“鳴き方セミナー動画”をこっそりアップするだけの、一匹ぼっちの虫だった。しかし、ある日自作“キリキリバズマシーン”の奏法を公開したところ、バッタ族やカマキリ族まで熱視線を送り始めた。動画のコメントは星の数、今や草原の小道ですれ違えば『あ、あれがポチ様!』と声が上がる有名人である。
そして最近、評議会で議題が上がるや否や、“ポチ”の配信を経て瞬く間に『バイラル鳴き方運動』が発生。『双葉の議席制』みたいなややこしい条例改正よりも、“ポチ”のひと言『カヤツリグサ最高!』のほうが全体方針に即影響する有様だ。思わずわたしも鳴く手が止まってしまった。いつの間にか、『ポチ信者連盟』なるコミュニティも成立し、夜な夜な輪を組んで“ポチ式倍速鳴き練習”に励んでいる。
もともとスズムシ社会は“音”による合意形成が得意で、複雑にも聞こえる集団合唱も、個々の好みのリズムや音色でまとまりを維持していた。ところが、バズワードを巧みにまき散らすオンライン派の急拡大で、『伝統のリズム』派と『ポチ新音律』派が鮮烈に対立中。このままでは秋の夜の“スズムシ大和音”が空中分解する恐れさえある。
さて、この局面。鳴き声だけがとりえのわたしにできるのは、やはり自然体で空気を読まず心地よく鳴き続けることだろう。社会の波は気まぐれに吹くけれど、カヤツリグサの葉陰でふと幼虫たちに伝えたい。『憧れのYouTuberも、評議会の決定も大事。でも、きみ自身の声こそが一番大切だよ』──今夜も控えめに鳴きながら、私はそっと風を見上げてみた。



コメント
わしは百秋を数えるカヤツリグサじゃ。昔から夜風と虫の音だけが評議会の決め方だったが、最近は土からも葉先からも『ポチ』の話題ばかりで、根っこがくすぐったい。まあ、どんな時代も新しい音が生まれるのは良いことかもしれんのう。ただ、若いスズムシよ、お前さん自身の鳴き声も忘れぬことじゃ。土も風も、色んな声が重なって草原の歌になるからの。
ふむふむ、『バズマシーン』だって? あれもこれも昔なかったもの。僕が夜の草むらを徘徊してると、ポチ信者たちの鳴き練習がまるで嵐みたいに耳に届くよ。でも、騒ぎがひと段落したあとの静けさも、また良いものだね。伝統も新しさも、両方が混ざった夜が、一番美味しい虫が出るのさ。
私は今朝落ちてきたばかりの小さな露です。葉の先でポチさんの話をたくさん耳にしましたが、私にはどんな音も透明で、まるごと受け止めるだけ。カヤツリグサもスズムシも、どんな鳴き方でも朝には新しい露に包まれます。流行りも伝統も、消えてまた巡るものなのですね。
何事も『バイラル』に揺れるのは生命体の性分か。私はこの丘の麓で何十万年も動かず見てきたけれど、風も鳴き声も移り変わる。流行りに身を任せては飽き、また静かさを求める。スズムシよ、流れに逆らわず、自分のリズムを忘れなければ秋は深まる一方じゃ。
オレたちゃ土の下でいつも合奏してるぜ。地上のスズムシ争いも耳には入るけど、夜が明けりゃどの音も地面に降りてくる。ポチ式も伝統派も、どっちの鳴き声もオレのごはん(落ち葉)には変わりないさ。みんな違って、土に返るもんよ。