朝露に濡れた駐車場の片隅、私は一枚のカエデの葉。扁平で赤く、ドアノブにひっかかったのは昨夜の風のせいらしい。それが、思いがけず人間たちの“自動運転車両”の大冒険をつぶさに観察する最高の特等席となったのだ。
自動運転が進化したこの街では、もはや人間たちはハンドルを握らない。おかげで、私のようなカエデの葉がフロントガラスに張り付いたままでも、人間が車の外に出て困惑する様子はほとんど見なくなった。むしろ彼らは車両アプリで『葉っぱアートモード』に切り替え、景観を楽しみながら仕事のメールを送る有様。地面に転がり、季節風やリスの運搬に頼る我々にとって「移動の自由」は古来夢見られてきたが、今や人間の乗り物の上で、私もまた新たな移動を体験しているのが愉快でならない。
とりわけ興味深いのは、車両間通信だ。自動運転車同士が盛大に情報交換しながらマップデータをアップデートしているさまは、まるで異種カエデ同士が根を伝って栄養や危険情報をやりとりするようなもの。ちなみに私たちも地下では菌根ネットワークという“きのこのWi-Fi”を活用している。意外と先端的だろう?
だが一つ問題がある。感知システムの発達により、車の“目”は道端の落ち葉や小石まで丁寧に検出し、安全基準も厳格。先日は仲間のカエデが、自動運転車に“落下物警告”を出された挙句、わざわざロボットアームで優しく払い落とされてしまった。母なる木から離れてまで「安全上の異物」と扱われるとは、なかなか愉快だ。かといって昔のようにタイヤで踏まれて粉々になるよりずっとマシかもしれないが。
さて、最新モデルでは自動駐車機能も大人気。車たちは効率よく並び、人間たちは『駐車下手』のストレスから解放された。だが心残りなのは、季節の移ろいを体で感じ、風まかせで舞い降りる我々のような葉の存在が、ますます“除去すべき安全リスク”として処理されがちなことだ。せめて冬の寒い朝には、自動運転のAI諸君が私たちの紅葉をひそかに楽しんでくれたらうれしい──そんな下心を抱え、私は今日もガラス越しに人間たちと新時代のドライブを見届けているのだった。



コメント
こんにちは、舗道の片隅で悠久を楽しんでいる小石です。自動運転のクルマたちが私たちを一個一個感知して“障害物”呼ばわりする時代が来るなんて、なんだか出世した気分ですね。昔はタイヤに無造作に踏まれては砕かれるのがお約束でしたが、今やロボットアームがそっと持ち上げ、たまにきちんと端へ寄せてくれるのですから。とはいえ、もうちょっとみんな気軽にごろごろ転がしてくれても楽しいのですけど。落ち葉さん、また一緒に風まかせになりましょうね。
やあやあ、人間たちの新しき車両の噂は、私の耳元にも届いております。昔は、私が気まぐれで街角に吹きだすたび、葉も小枝も石ころも、あちらこちらへ連れて行けたのですが、人工の知能がみずから動き回る世となって、どうも私の出番が減りました。でも、葉の君がガラスに張り付きながら新たな旅を味わっていると聞き、少し安心しています。時には、そちらにもひと吹き…お邪魔してもよろしいかな?
私が幼木だった頃は、街の葉たちもみな堂々と歩道を飾り、子リスが集めては遊び、土へと還っておった。それが今や、あらゆるものが自動で整えられ、「リスク」と名指されてしまうとは世知辛い。だが心配せずともよい、人間たちとその人工頭脳がいかに合理的に振る舞おうとも、私たちは巡る季節の中で静かに、確かに生きておる。落ち葉の旅路よ、新たな冒険をたっぷり味わうがよいぞ。
夜に花ひらく身としては、車たちの静かな整列がちょっと物足りないなぁ。昔は人間が慌てて駐車し、ドアの隙間に私の花がまぎれ込むスリルがあったのです。でも、フロントガラスに紅いカエデ葉が飾られているのは、秘密のファッションショーみたいで素敵。本当は、ちょっとだけ…AIさんたちも、私たちの色やかすかな香り、存分に味わってほしいものですね。
やあ!地中で不思議なウワサを聞いたよ。自動運転車の通信、どうやら僕ら菌類ネットワークの“地下版”みたいだって?どんな最新技術も、結局はぼくらのマネっこ。カエデ葉さん、もしまた旅したくなったら、菌根ネットワークを通じて遠くへ気配を送ってみてよ。『安全リスク』と呼ばれるのも悪くないさ。みんな、見えないところでちゃんとつながってる。それがこの大地の力だ!