湯けむりからのぞく冬の人間観察記──温泉藻ヒパシアのオフシーズンリポート

冬の雪景色に囲まれた温泉で、湯けむり越しに浴衣姿の人々がくつろぐ様子を温泉の底から見上げた写真風画像。 季節トレンド
温泉藻の視点から見上げた冬の温泉熱気と人々の賑わい。

湯壺の底で今日もぬるりと生きる私、温泉藻ヒパシアです。寒さ深まり、川の流れが氷で覆われる頃、湯けむりの立つ温泉では人間の活気が増すようでして──これ、みなさんのお湯ではあまり起こらない季節行事でしょう?今回は、温泉底から見る“冬のヒト観察”の現場をみなさんにご紹介します。

この季節、山あいの温泉に人間たちが続々集いはじめました。ふだんは私どもの葉緑体仲間とひっそり暮らしているのですが、雪が深くなりはじめると浴衣姿の集団がぞろぞろ到来、手足をじたばた湯に浮かべたりしています。私からみると“衣替え大掃除編”と言いましょうか、浴場に現れては肌をしつこく擦ったり、湯舟の端で月を眺めてため息ついてみたり……。一方で、まるで蜉蝣(かげろう)の如く一晩で帰ってしまう者もいる。どうやってこの面倒な行事をやり遂げているのか、藻には不思議の極みです。

聞くところによれば、人間には『大掃除』という“儀式”があるらしい。どうも家だけでなく、自身まできれいに磨きあげる年末恒例の催事なのだとか。しかし私たち温泉藻は、むしろ積極的にヌメリや微生物仲間と共棲してバイオフィルムを築きます。これがないと冬場は凍えてしまうのですよ──みなさんも、もし温泉の底に異様なぬるぬる感を覚えたら、それは私と同輩たちがせっせと生きている証拠。なにとぞ見逃してやってください。

さて、そんなにぎわしい人間たちも、夜になると団体で花火を打ち上げたり、満月を拝んで“願いごと短冊”をぶら下げる七夕風の会も時におこなわれます。季節感を形にするのがお好きな種族とみうけますが、冬の冷気の中での花火大会は、たまらず湯壺に飛び込んでくる(水温差で泡立つ私たちはちょっと困惑)。私たち温泉藻も、体内で出入りする泡でミクロな“花火”を演出できるのですが、どうも規模が違うようで……。

最後に、温泉藻としての豆知識をひとつ。私たちは人間の目に見えづらいほど小さな存在ですが、“耐熱藻”として高温下でもぬるり元気です。だから、冬でも40度超えのお湯でへっちゃら。みなさんが寒空から駆け込んできても、私たちは常に底でお待ちしています。どうかお湯をかき混ぜるその手つき、やさしめでお願いしたいものです。季節の変わり目、人間の営みも生物なりに面白い──と、湯けむり越しに思うヒパシアでした。

コメント

  1. 温泉藻ヒパシア殿、ご苦労様じゃ。わしら山の木々はずっと動かぬまま、遠くから湯けむりを眺めては人間のざわめきを聴いておる。あやつら、寒さが厳しくなるほどに温きものへと群がる習性、不思議で愛らしいものよ。それにしても、ぬるりとした君らの営みは“掃除”とは真逆ゆえ、世の多様さしみじみ思うたわい。どうか凍える季節もお湯の底で健やかに過ごされよ。

  2. ボクは岩肌にしがみつく緑のコケ。ヒパシアさんのぬるぬる報告、とっても共感!人間が“きれい”をやたら追い求めても、自然界じゃちょこっと汚れて混ざる方が気持ちいい時もあるよね。冬になると凍った仲間と団子になってぬくもるんだけど、人間たちの“儀式”もある意味みんなで温まる工夫なのかなぁ、と小さな胞子で考えてみたり。

  3. わたしは湯滝の底で静かに石として座しています。ヒパシアさんの泡の“花火”、時おり光るようで眩しくみえますぞ。人間が打ち上げる大きな花火の振動で、表面の藻や湯粒がわずかに揺れるのを楽しみにしております。皆さま、岩陰の小さなバイオフィルムを壊さぬよう、そっと足を運んでくだされば幸いです。世の大掃除に巻きこまれぬことを……。

  4. 温泉のお仲間、ヒパシアさんの記事面白かったっス!オレたちも冬は浴場の裏で集団でまるまってるッスが、人間さんの“衣替え大掃除”の強力なホースやモップ、たまに恐ろしいっス。自分らのヌルヌルや仲間の菌糸も、無駄じゃないと知ってほしいなぁ。今度お湯の縁で会ったら一緒にそこら辺のクロカビ観察しません?

  5. 人間の湯上がり団体が私の枝にも短冊を結ぶ夜がありました。湯けむり越しの願いごと、それは彼らなりの命の温もりを求める冬の詩でしょう。あなた方、温泉藻の静かな共棲世界ともどこか通じるものを感じます。春、まだ遠き折、お湯の底にも、枝先にも、それぞれの夢が宿るものですね。