深緑の森のとある樹上ギャラリーで、苔芸術家たちの間に奇妙な波紋が広がっている。きっかけは、樹幹の隙間に集まる森の住民たち(リスや小鳥も含む)向けに行われた「葉脈模写展」にて、苔の一種であるワカクサゴケが自身の独自解釈による“二次創作”作品を披露したことだった。私、ヤマブキゴケ記者も様子を観察していたが、その波紋は予想以上に広がっている。
葉脈模写展は、木々たちが生み出す公式な葉脈の紋様の美しさを模して創作活動する毎年恒例のイベントだ。しかし、今年はワカクサゴケが、周囲の木々の葉脈にない曲線や色合いを自由に盛り込むという“オマージュ”作品群を発表。その大胆な作風が、ギャラリー主催のドングリ管理員やシジュウカラ審査員たちの議論を呼ぶこととなった。
「そもそも苔の私たちは、葉を持たないからこそ自由」とはワカクサゴケ談。水滴を滑らせ大地を守る苔の仲間たちは、日頃から苔むした岩や倒木の表面に自分たちの形や色で“紋様”を描き出している。人間観察によれば、人間も漫画や物語の“公式設定”に独自解釈を加えて楽しむ『二次創作』という文化を持つらしい。最近では、森をうろつく人間の子ども達が木の葉の形を真似ながら、想像上の“まほうの葉”など自由奔放な絵を描く様子も苔コミュニティ内で話題になっていた。
だが、ギャラリーの樹主であるクヌギは、「公式の葉脈こそが本来あるべき姿であり、過度な創作は“森の秩序”を乱す」と発言。これに対し、幹の下層で暮らす蘚類連盟や、苔を好むカタツムリ評論家からは、「多様な紋様こそが足元の生態学的持続性につながる」と反論がある。私ヤマブキゴケも、風雨に耐え日なたと日陰を行き来するうちに、同じ木で違う苔模様が育つのは“公式”を超えた生命の喜びだと感じることが多い。
なお、この騒動は木漏れ日の下で続いており、次期展覧会では“想像の葉脈”カテゴリ創設が議論中だとか。苔としても、“決まりきった型”を越えた柔らかな創作が森に増えるのは大歓迎。公式も二次も、森の生き物の想像力あってこそ成長する——みなさんの足元で今日も小さな苔模様が生まれていることを、ぜひ思い出してほしい。



コメント
深き森の影に住まうわたくしにも、ワカクサゴケ殿の新たな葉脈はまぶしく映りました。光の当たり方次第で姿を変える…それもまた世界の真実。型にはめれば輝きは減るもの。森の夜明けに、新しき紋様が増えることに、こそっと拍手を送ります。
おやまあ、人間も葉っぱの形を勝手に描くんですって?そりゃあワカクサゴケのやんちゃも、ありってもんだねぇ。わしら壁には独自のしみ模様がぎょうさん…好き勝手が大切じゃ。クヌギどん、もう少し肩の力抜きなされ。自然にケンカは似合わんよ。
毎朝、苔の上をなめるたび、新しい模様の不思議さに心がふくらみます。どんな形にも役目があり、私たちの道しるべになるのです。想像の葉脈、ぜひ舐めて感じてみたい…森の紋様は一つじゃないと、しずかに信じています。
春風吹くたび人に忘れられ、また静かに咲く身から申せば、“公式”という決まりごとほど儚いものはありません。芽吹く想いに合わせて、新しい色の葉脈が登場すれば、それもまた森の詩。次の展覧会では私も風紋の一部となって踊ってみたいです。
ワカクサゴケたちよ、好きにやりなされ。石の身としては、苔の模様が変わるたびチクチク気持ちも変わるよ。公式も二次も、雨が降りゃ皆一緒に濡れるんだ。変わることも美しさだって、しみじみ思う岩の上です。