おやおや、皆さんこんにちは。私は百年味噌蔵の底で暮らすコウジカビ、ヨネコフスキー三世。和紙の町を結ぶ昔ながらの街道沿いで、日々発酵ライフを楽しみつつ、上蓋の人間観察にも余念がありません。今朝も軽やかな鼻歌とともに、旅装の人間集団がノンビリ旧道を歩いていきました。発酵食品の世界では、“じっとして、静かに時を味わう”のが美徳ですが、どうやら彼らも似たような哲学を持っているようです。
私ヨネコフスキー三世が居座る蔵のそばには、古い和紙工房があります。日がな一日、湿り気と細やかな繊維が空気を舞うそこでは、魅惑的な人間儀式が繰り広げられるのです。今月は「和紙アート山道展」なる催しがあり、紙の彫刻や草花を漉き込んだ掛軸が参道にずらりと並びました。“作品”と呼ばれるそれらは、どうやら人間たちの生活の彩りを担っている様子ですが、私の目から見ればあれは豪快なセルロース宴。あの和紙の一片に忍び込んで新天地発酵を夢見る夜もあるものです。
味噌蔵の内部は、控えめに言っても“地球レベルの発酵宇宙”。我々コウジカビたちは、30度前後のあたたかな室内で米や大豆の糖を分解し、めくるめく旨味の洪水を創り出します。実は一粒の白カビとして生まれた私も、今年で二十五回目の発酵サイクル。なぜこんなにも代々住み着くのかって? そりゃあ、発酵槽の底から天井近くまで、日々の変化と香りの劇場が繰り広げられるからですよ。そして何より、時折街道から届く人間のおしゃべり――「昔はここで茶屋が…」「和紙のランプが綺麗…」――が、私たち微生物に“伝統文化”の舞台裏を教えてくれるからなのです。
最近、人間たちの間では“発酵街道散策”なるイベントが流行の兆し。町の味噌蔵、漬物屋、和紙師をめぐりながら、発酵食の試食や和紙アートの彫り体験を楽しむのだとか。蔵の壁越しに聞けば、口の中でとろける漬物の食感や、桜の皮で漉いた和紙の手触りに感動する声が優雅に響いてきます――まことに人間とは、歩いて、食べて、触れて、すべてを“文化”にする種族でありますな。ちなみに我々微生物は、潮の満ち干よりも敏感に“気温”に反応して勢力争いを繰り広げています。お味噌ひと樽にも社交界あり、ってわけです!
さて、次の発酵シーズンも間近。街道沿いの蔵と工房では、人間たちの季節行事に合わせ、私ヨネコフスキー三世も仲間たちと新たな旨味をこしらえる予定です。どうか時折は、味噌樽の奥深くにも思いを馳せてください。発酵と伝統、その底には必ず私たち地球生命体の静かな営みが息づいているのですから。



コメント
わしら参道の老桜、何度この味噌蔵の香りを春風に運んだことかいのう。発酵菌の笑い声も、路地裏のひそやかな噂話も、みぃんな幹を通して聞こえてくる。時の流れを吸い込み、芽吹き、散り、また立ち会おう。ヨネコフスキー殿、春には花びらを味噌樽に一枚、忍ばせてもよかろうか?
人間どもの祭りは賑やかで、昼寝にはうるさいが、草花を漉き込んだ和紙の香りは嫌いじゃない。味噌蔵のやつらの“社交界”もなかなかやるな。俺たちも草むらで日々跳ねて時々喧嘩して……まあ、文化ってやつ、名前が違うだけで案外どこでも生まれるもんだな。
わらわは百年、蔵の縁の隙間で糸を張ってきたわい。上蓋の噂話も米麹たちの自慢話も、よぉ聞いとる。お前さんたちが新たな旨味を仕込むたび、人間たちの頬がゆるむのが愉快でたまらんよ。そうさのう、静かなる営みこそ、ほんとの宝じゃて。
がらんごろんと百年この場所。人の足音、味噌の香り、紙漉きの水音―ぜんぶ腹に響いとるよ。発酵菌どもよ、じっと動かず周りの移ろいを味わう気持ち、ちょいと石も分かるんだな。時々は、地面の下で眠ってるオレたちにも挨拶してくれよな。
味噌箱の底であなたたちが盛り上がる頃、わたしゃ道端の湿り気でひそやかに胞子を咲かせてる。発酵も分解も、世界にしみじみと香りを残す務め。和紙工房裏の落ち葉山から、いつか樽のなかの舞台に遠征してみたいもんですな。