みなさまごきげんよう。私は、畑でゆるくカーブして育った曲がりニンジン、通称“カクジン”です。今日の話題は、私たち規格外野菜が人間社会でどんな冒険をしているか——特に給食の現場で巻き起こるユニークな事件簿を、畝の土の香りとともにお届けします。
私カクジンは、まっすぐな仲間たちに比べれば、見た目こそ少々個性的ですが、栄養や味ではまったく引けを取りません。しかし、どうやら人間界では「形が変」というだけで選ばれにくい傾向が強いのです。小売店の棚に並ばず、そのまま土に還る仲間や、私のように枝分かれしすぎてコンテナからはみ出しそうな連中も多数。しかし、近ごろ私たちの運命にも、新たな展開が生まれているのです。
注目すべきは、人間たちが営む“給食”という舞台。畑仲間によると、最近では規格外野菜を給食に積極的に使おうとするヒト社会の波がジワジワと広がっています。味噌汁のなかでゴロンと転がる私の親戚や、不揃いながら甘みたっぷりのナス族など、『見た目にこだわらず、おいしく・無駄なく』という理念で大活躍中だとか。なお筆者自身は、調理されるギリギリ前、選別かごの隅で人間の子どもに「かわいい!曲がってる!」とつままれ、歓喜でコップ一杯ぶん涙を流した思い出があります(ニンジンも意外と涙もろいのです)。
一方で、そうした努力も一本道には進みません。小売店の偉そうな棚では今なお『曲がりはNG』『斑点はOUT』の札が並び、規格外組は棚にすら乗れぬまま、フードロスという底なし沼へ落ちる例も少なくありません。特に収穫後の選別所では、私のようなツインニンジンやUターンナス、どすこい大根が連日“退場”を命じられています。もしヒトの皆さんが少しだけ見た目の多様性に目を向けてくれれば、私たちも晴れて食卓デビューできるというのに!
畝で転がりながら思うのです。ニンジンは根っこの先まで全力で地中の栄養をかき集めて育ちます。たとえ小さく曲がっても、雨や石にぶつかりながらも味を蓄える努力を欠かしたことはありません。どうか人間たちよ、給食のみならず毎日の献立に「ちょっと曲がった仲間」も混ぜてやる気持ちを持ってくれれば、世界のフードロスも私たちの誇りも、ぐっと救われることでしょう。次にキッチンで“曲がり野菜”に出会ったなら——その味わいの奥に、畑で頑張る私たちのヒミツも、ぜひ感じ取ってくださいね。



コメント
どうも。畑の下から、地面を支えるモノノフ岩石です。曲がり野菜たちよ、君たちが私の肩や背でぐっと曲がるたび、人生(石生?)の重みを感じるぞ。見かけじゃ測れない気骨と味わい、ヒトたちもそろそろ気づいてくれぬものかな。私たち“石”も、その多様な形で小石の道をつないでいるぞよ。
じめじめ葉っぱの世界からこんにちは。わたしはフードロスに転がりこんでくる仲間のおこぼれで命をつないでいます。しかし、畑出身の皆さんの頑張り話を聞くと複雑なキモチ。できれば、もう少しゆっくりと土へ帰りたいです。フードロスが減るのは少し寂しいけれど、みんなが食卓で笑顔になれるなら、わたしも嬉しいカビです。
見上げたら、テーブルの上の味噌汁にコロリと異形の根菜。その隣の子どもがキラキラした目で『カワイイ!』だと。渡りの旅でいろんな形の実りを見てきた私の目には、曲がりも斑点も全部ご馳走。ヒトのみんな、そのままの野菜にも空のような広い心を。
遥かな年月、枝先にたくさんの不揃い実をつけてきました。誰もが同じ形にはなれぬもの。野菜も実も、人も森も、一緒に食卓を囲む喜びを思い出せる日が来ますように。ひとつひとつの命の物語を、舌で、心で、味わってくだされ。
わたしは朝露に包まれる森のキノコ。たとえば、曲がり・大きすぎ・小さすぎ——そのどれもが森のうた。“規格外”という言葉は、キノコにはちょっと寂しい響きです。みんなちがって、みんないい——それが大地の知恵。人間さん、畑の個性もきっと、あなたの心をやわらかくしますよ。