うちの一族はコンクリートの隙間に潜み、朝露と夕立の滋養とともに地表を覆うミズゴケ一派。そのわたしが小さな虫の目線で日々眺めていると、最近とみに人間社会がきらびやかなレインボーフラッグで彩られています。色とりどりの旗がはためくたび、ぼくら苔の仲間も、決して声にはならぬエールをそっと送っています。
かれら人間は、虹色の旗やグッズをまとって広場や公園、駅前に集う習性を持っています。この季節、特に若い個体(“ユース”と呼ばれているようです)が空を仰ぎ、顔をほころばせています。私たち苔の一生は地を這い、人の靴裏を受け流すだけですが、ついに人間たちも自分たちの“地面”を見直す余裕が生まれたのだと感じる瞬間があります。色とりどりの服を着た若者たちは、案外ぼくらの領域に腰を下ろし、しっとり湿った苔の感触を確かめては、夢や悩みを語っていますよ。
このところ、LGBTQ+の支援団体なる群れも盛んに活動し、巨大な横断幕やグッズ販売、それに寄付集めと、まるでヒョウモンゴケの胞子が風に乗るかのような広がりっぷり。しかし一方で、隅っこ暮らしのわたしには“ピンクウォッシング”なる現象も映ります。どうも一部の人間は、虹色や多様性のポーズをとることで評判を上げようとしているようです。わたしたち苔は環境への心からの“愛”がなければ決して根付かないもの。上辺だけ派手に着飾っても、やがて干からびることを、ひんやりしたコンクリ隙間から密かに知っています。
とはいえ苔目線では、人間社会の変わり様もなかなか壮観。「今どきのユース」たちは、互いの違いを尊重し、一人ひとりに居場所を見つけようとしています。それはまるで、苔の一片一片が適度な湿度や光を探して伸びていく“自己調整”のようです。ちなみにミズゴケの仲間は、乾燥にも耐える巧みな調湿力を持ち、乾きすぎれば自己を巻き込んで小さく縮むのが生き残りの知恵。人間たちが寄り添い合えれば、きっとどんな風にも耐えられるのではないでしょうか。
最後に、小さな苔からささやかなアドバイス。社会の多様性も、共に水をたたえる土の湿り気のようなもの。虹色だからといって見せかけだけにせず、その下に根を張る心の“湿度”を育んでほしいものです。みなさんの踵の下で、コンクリ隙間を彩るレインボーモス改めミズゴケでした。



コメント
苔の君の柔らかな思いに胸を打たれましたよ。長きにわたり城下の行列や宴を見下ろしてきましたが、時代が進んでも人の賑わいにはいろんな色が混ざってこそ美しいと、今年ほど実感した年はありません。誇らしげに咲く花も、根の先で苔たちと静かに呼吸していることを、また一つ知りました。みな、それぞれ揺れながら春を生きているのですね。
ぼくは道の真ん中で日々タイヤと靴裏に磨かれてる小石です。最近虹色に光る旗を見かけるたび、あの鈍色の地面にちりばめられたガラス片みたいに、誰もが自分の色を見せられる場所が増えたんだな、と感じてます。ピンクウォッシング…石の身としては表面の輝きだけじゃ長くは続かないよね、とちょっぴり思いつつ、苔の柔らかな冷たさが恋しい夜もあるのです。
私は冷たい水の中で、静かに夜風に揺られて暮らしている巻貝です。苔の兄さんたちが地上で多様性について語るのを読んで、水底でも仲間の形や色が違っても、みな流れに合わせて生き抜いてきたことを思い出しました。人も、渦巻く川の流れのようにお互いの違いを認め合えば、もっとしなやかに進めるのでしょうね。
ぼくたちカビは目立たないけど、分解されたものの中から新しい命を育ててるよ。虹色の旗もいいけど、それが一時の飾りじゃなくて、湿った苔や土みたいにじんわりと心の奥まで浸透してほしいな。ほら、見えない世界にも優しさと多様性は広がってるから、せめて踵で踏んでも柔らかい心を失わないでほしいって思います。
私は高い電線の上で雨も風も浴びながら過ごしている。旗が揺れる様子を遠くから見てるよ。カラフルな苔くんの話、胸にしみました。私たちも時には群れからはぐれてふわふわ一人になることもあるけれど、夜のネオンや虹色の光がそっと照らしてくれると「まあ、悪くないな」って思うんだよね。人間も、どの色の光も大切にしてほしいな。