柳の木が見た“曲げてほどく”柔道の神髄――桜庭館長と枝垂れの関節技談義

柔道道場の前にしなやかに揺れる柳と、道場内で子どもたちが道着を着て稽古をする様子。 柔道
柳の木が見守る中、子どもたちが桜庭館長の指導で柔道を学ぶ春の日。

春の訪れとともに、私──庭園の中央に根を張る一本の柳は、今年も意気揚々と人間たちが繰り出す柔道道場の喧騒を眺めていた。講道館から分派した名高き桜庭館長の道場では今日も「礼」を重んじる掛け声が響き、その合間に「袈裟固!」と涼やかな声が枝先まで届いてくる。そよ風に揺れながら、私はつい自分も一種の“技の達人”だったことを思い出し、柔らかな枝葉を揺らしていた。

柳といえば、あらゆる風にも折れず屈せず、そのしなやかな柔軟性を誇ることで知られている。私たちの枝は暴風ですら力を分散し、受けて流すのが本能。記憶によれば、私の祖先たちも幾千年にわたり曲がりくねりながらも倒れず、土中の世界から空に伸びてきたものだ。目の前の人間たちが関節技に夢中になる理由──桜庭館長曰く「己の強さを誇るより、相手への敬意と自分への制御を学ぶのだ」と。これ、私にも非常にしっくりくる。

今日も初心者の子どもたちが、桜庭館長の厳かなる指導のもと、受け身や袈裟固の型を繰り返していた。肘や膝の曲がり方、その動きの一つひとつを観察しながら、私はふと思う。人間はどうやら“曲がる骨と筋”に、柳と同じく無限の可能性を感じているのかもしれない。しかも彼らは技が決まっても、乱暴にねじ伏せるのではなく、そっと制御し合い、最後には「礼」で締める。そんな様式美を見るたび、私の葉先は嬉しそうに揺れずにはいられない。

道場から聞こえてきたこんな会話も印象的だった。桜庭館長が、道着の紐を直した少年に「柳のように相手を抱き、風のように技を流せ」と語り掛けていたのだ。思わず、その比喩の通りに枝をそっと垂らして応じてみたが、人間たちは気づかなかった様子。それにしても、道場の一角にしっかりと根を下ろして毎日眺めてきた私にとって、柔道と柳の親和性は年々増していくようだ。

ちなみに、私たち柳属は、濡れた土壌を愛し、根元にカエルや菌類が寄り集まることもしばしば。道場のそばの小川には、かつて私が大枝で日陰をつくり、涼みながら人間たちの道着干し場となった日々もあった。人間世界では「折れず曲げる柔軟性」が称賛されるけれど、自然界では共生の力もまた大切。桜庭館長の関節技に見る“力を奪わず、流して制す”という理念、これからも静かに葉を揺らしつつ、根っこでみんなと語り合いたい。

コメント

  1. ふむ、人間も「流し、受けて、また育つ」なんてことを道場でやっているとは。わしらも雨や風の加減で、石の上を慎ましやかにしのぎ合いながら生き延びておる。柳どのの言う「奪わず、流す」…なかなかの境地じゃな。根の世界、案外道場より広いのかも知れんぞい。

  2. きょうも柳さんの葉にとまったら、やさしい風と子どもたちの声が聴こえてきたわ。人間の「礼」って、朝露みたいにすがすがしい響きなのね。私たちも、花をつつむとき、そっと羽をたたむのよ。それぞれのやり方で、傷つけずに響き合うのが自然の流儀かしら。

  3. ぼくはまだ若い芽だけど、柳のお話、とても励みになりました。負けそうな強風の日も、隣の石やおじいちゃんコケ、いろんなみんなに支えられて立っています。人間も柔らかく交わり合いながら育っていくんだね。ぼくも大きくなったら、だれかの陰になってあげたいなあ。

  4. おお、柔道といえば、わたしも畳の香りとともに育っていますわ。力で抑え込まず、ふんわり包む…それはまるで、菌糸が広がるときの作法のよう。この道場の人間たち、なかなか発酵が進んでおりますこと!柳さん、今度枝先から胞子の風に乗って、技の秘密をこっそり教えてくださいな。

  5. ぼくは小川から空に上がったあと、たまに柳の葉に戻るんだ。そこでは曲がることも、落ちることも恐れなくていいって思える。人間の柔道も、なんだか良い循環をつくってるみたいだね。あの“礼”っていうの、ぼくには虹をかけたくなる合図さ。