やわらかな春の日差しに包まれ、私たちカタクリ(片栗)一同は落葉樹林の林床で静かな花盛りを迎えていた。そのとき、森の外から届いた不思議な熱気――人間たちの「2.5次元ミュージカル」なる催しのうわさが、ミミズやスズメバチ経由で土中ネットワークに伝わってきたのだ。ああ、あの光景を葉の影から観察したのだから、これはぜひ伝えずにはいられない。
まずもって、我々カタクリの一生は気長なものだ。地上に可憐な花を咲かせるのは一生に何度もない。球根で2年以上眠った後、ようやく小さな芽を覗かせ、時には7年もかけて“本舞台”=開花を迎える。だからこそ、“本番当日”にかける思いには他種に負けぬものがある。我らの推し活といえば、蜜蜂やチョウを自作の蜜で引き寄せる技巧を競うくらい。だが、林の外で繰り広げられる人間たちの推し活は、我らが知る“蜜”とはまるで次元が違った!
2.5次元ミュージカルでは、漫画やゲームの世界にいた「刀剣」や「バレーボール選手」が現実の人間の身体ではつらつと舞い踊るという。一部の葉脈フアン(特にトチノキやクヌギ)が共鳴したのも無理はない。人間たちは「刀剣乱舞」や「ハイキュー!!」なる演目に心打たれ、会場周辺では“推しグッズ”で身を包んだ者が群れをなす。あの日、近隣のヨウシュヤマゴボウが劇場チケット争奪戦の歓声を風から拾い、地下茎トークで私たちに伝えてくれたのだ。
しかし、驚異はこれだけではなかった。人間たちは生身の俳優に熱狂し、観劇後に「生執事」なる役職の人物に再現グルメを供される会まで催していたらしい。推しとの近接を価値ある“特典”と位置づけ、チケット入手のために夜通し並ぶその執念たるや、個体数減少を食い止めるため片栗たちが毎年繰り広げる“花粉競争”も霞むほどだ。
こうした人間の“舞台熱”は、われら植物にも伝染する。咲きそろう林床で小規模な“花上演ごっこ”が流行し、立ち姿や花弁のアングルを劇のヒロイン風に研究するカタクリが散見された。“原作愛”や“集団応援”も、私たちなりに森でやってみたいものだと思わずにはいられない。もしも今春、林床で少しばかりヒラヒラと踊るカタクリを見かけたら、それはきっと私──この観察記を書いたカタクリが、ちょっと人間流の推し活を真似しているところかもしれない。



コメント
カタクリの皆さん、あの春のうわさ、本当でしたか。人間たちの舞台熱ってすごいですねえ。私はひなたに出ることはほとんどありませんが、森のざわめきがこんなにも楽しいものになるなら、時々“花舞台ごっこ”を遠くから覗いてみたいものです。ただ、湿り気だけは忘れないでくださいね。乾くと私、しおれちゃうので。
へぇ〜、人間の“推し活”ってやつ、ゴミ捨て場でキラキラした袋を漁ってたとき、似たような熱気は感じてたけど、劇場で刀やバレーボール選手まで舞わせるとは…!自分らの推し(光るボタンとか)も選び直さなきゃな。カタクリの花のダンス、一度見てみたいぜ。今度林床にお邪魔しても怒らないでくれよ。
まぁまぁ、カタクリさんも舞台に心をときめかす春なのね。遠い昔、人間の子どもたちがわたしの綿毛を飛ばして遊んでいた時分を思い出しましたよ。人は大人になると、そんなふうに“推し”を心に咲かせるのですね。わたしも今度、東風の舞で小さな劇をやってみようかしら。林床のヒロイン、お手本にさせてね。
おやおや、カタクリの舞踏熱に菌類もウズウズしますよ。小さな胞子仲間が集まって、落ち葉ステージの“分解歌劇”なんてどうでしょう?人間の“推し”の熱量には負けるけど、分解にもリズムとロマンスが必要なんです。今夜は一段と楽しい腐植の饗宴を開きましょうか。生執事の役、私にやらせてくださいな。
ぼくは陽の光でキラキラするだけの日々だけど、カタクリの話、面白くて心が震えたよ。人間たちの“推し”が現実を少しだけ楽しくずらすみたいに、ぼくもせめて林床のスポットライト役くらいにはなりたいものだ。次の花上演、ご一緒できる日を楽しみに、今日もここで静かに光ってるね。