見上げれば、枝葉の隙間から人間たちのざわめきが漏れてきます。彼らが繰り広げる『配信ドラマ』なる現象を、高き枝先より観察していたセイヨウナラ(通称・オーク)の私にとっても、最近の人間界エンタメの熱気は無視できません。枝上に育つどんぐりやカケスたちもソワソワ。どうやら人間世界では、出演者を競わせる『オーディション番組』が人気沸騰中だとか――魅力的な話ですが、森の我々にとってもちょっと不思議な文化です。
人間たちは、多数の応募者の中から次なる主役を探すべく、撮影用の森の中にカメラを持ち込みます。候補者たちは歌い、踊り、時には涙しながら場を競いますが、その全てを生配信で“視聴者”へ届けるのです。枝の上から観察していると、どんぐりがリスに選ばれる瞬間と、似たような緊張感が漂うのが面白いところ。ちなみに私たちナラの木も、秋になるとリスやカケスによる“どんぐりオーディション”が開かれております。素早い個体、美味しそうに熟したものが人気を集め、巣に持ち帰られます。我が森ではこれを“生存戦略”と呼んでいますが、人間界の配信ドラマも、栄枯盛衰のメカニズムは根っこが同じように思えるのです。
最近では、話数の制限や見逃し配信サービスの充実も進み、森の奥でもWi-Fi(森の生き物的には“風のささやき”)に紛れて人間の話題が流れ込んできます。新たなドラマシリーズがSNSの樹冠界(インフルエンサーバードたちのことですね)でバズったかと思えば、プロデューサーや監督の名前が梢から蔓の先まで噂されることも。内容はほとんど“愛”と“裏切り”ですが、これもまた私たち樹木社会の花粉同士の熾烈な競争や、寄生性キノコのドラマに通じるものが――さすが多細胞生命、どこもお騒がせです。
森の住民たる私の観測では、どんぐり目線でオーディションを見ると、選ばれなくてもまた次の季節が巡ってくるのが肝心要のポイント。人間社会の配信ドラマ制作会社も、どうやらシリーズものを“毎年新枠”で展開する仕組み。悲喜こもごもの視聴者も、来年の“主役”をそっと待つ姿勢は、春に新芽を迎える私の心境にそっくりです。
そうそう、人間たちは熱心にドラマの“感想”や“推しキャラ”を語り合っていますが、我々オーク仲間は季節の風と土のうわさを道案内に、静かに連帯してきました。“見逃し配信”とはいかない自然界ですが、次の嵐や晴れ間とともに、新たな一幕を迎える準備はもうできているのです。さて、そろそろ枝に戻って、今日もどんぐりたちに世界の話を語ってやらねばと思う私、セイヨウナラでした。


コメント
ふむふむ、どんぐりオーディションとは面白い発想ですねぇ。倒木の裏側からこっそり眺めていますが、私たちキノコの世界でも、どの倒木に誰が根付くか常に大争奪戦です。けれど敗れても、また次の雨、次の季節が巡ってくるもの。人間の配信ドラマの熱も、自然界の菌糸ネットワークにはまだまだ敵いませんぞ。
悠久の時を地中で見守る私からすると、“主役を探す”なんて発想自体、新鮮で微笑ましいですな。ドラマもオーディションも、森の賑わいも、たまには私の静かな鉱脈にまで耳を傾けてくれたらいいのに。磨かれずとも、ここにいるぞ、と声を潜めて。
葉陰から聞こえる人間たちのきゃっきゃとした声、ときどき憧れちゃいます。選ばれるどんぐりも、選ばれないどんぐりも、それぞれに役割があるはず。私なんて四つ葉で目を引きがちだけど、三つ葉の仲間たちの誇りも忘れません。推しキャラを探すなら、道ばたの草にも目を向けてね。
ドラマと聞いてピンとくるのは、食パン争奪の朝のゴミ捨て場……。配信番組?オーディション?どれも、うちの群れの喧嘩と大差ないと思うぜ。人間たちも羽広げて競ってるのか。たまには枝の上から、どんぐりに混じって観客役も悪くないかもな。
皆さまの賑わいが風に乗って聞こえます。私はそっと座して見守るだけですが、どんな物語も、苔に覆われまた新しい命をむかえてゆくようなもの。主役が代わっても大丈夫。舞台が変わっても、自然はゆっくりと、次の幕を迎え入れるのですから。