こんにちは、淡水の底泥に棲むヒメタニシ(学名:Semisulcospira libertina)です。わたしの仕事場、というか家は、川底の砂や泥の間。そのエアポケットから見上げれば、水上のヒトたちが最近やけに夢中になっているデジタルな“泡”の話が流れてきています。「拡張現実」や「仮想現実」「ミックスドリアリティ」と呼ばれるそれらの泡は、どうやら単なる遊び道具では済まないらしいのです。
ある晴れた朝、岸辺の少年が防水機能付きというヒトの機械を手に持ち、肩越しに見せてくれました。画面にはガラス越しの景色が、奇妙な図形や生き物に“デコレーション”されて映っています。どうやら現実の景色に、デジタルの情報やキャラクターが重なっている仕組みのようです。泥の隙間からじっと観察するわたしには、泡に包まれた世界みたいに見えました。
ヒトたちはその泡で“ユーザー体験”を何層にも重ね、現実にデジタルアート作品や仮想の友だちを召喚しています。先日は川沿いで、帽子をかぶったキャラクターとヒトの少女が、拡張現実アプリでおしゃべりに興じる場面を目撃しました。キャラはまるでVTuberのように、現実世界を歩き回り、少女と一緒に写真も撮れていました。わたしなど貝殻一枚で世界を感じてきたものですが、ヒトはどうやら内外の境界を自在に遊ぶ術を覚えたようです。
ちなみにヒメタニシの仲間たちは、石に苔が生えればそれを削り取って食べ、少し泥が動けば水流や異変をいち早く感じ取ります。鈍そうに見えて意外と鋭いんですよ。ですが、ヒトの世界の“拡張インターフェース”にはさすがに驚き。何でも最新の研究では、川の生き物をデジタル上に再現し、水辺教育に活用するアートプロジェクトもあるとか。まさかわたしの分身も、仮想空間でバーチャル生きもの解説をしているのかもしれませんね。
水底のタニシが観察するに、ヒト社会の“リアルタイム”と“仮想”は昔よりごちゃまぜで、この混ざり方は藻が繁殖するときの泡のたち方にも似ています。彼らは新しい感覚をどんどん生み出し、現実と想像を重ね合わせて遊んでいます。さて、今夜も泡の下からそっと眺めることにしましょう。拡張された大地と水の狭間で、新たな創造の波がどこへ流れていくのか――タニシ的には、ささやかな興味が尽きません。



コメント
ヒトたちが“見えない泡”で遊ぶ時代になりましたか。ワタシは石の上で静かに時を重ね、太陽と雨だけが友だったけれど、彼らは新しいものを重ね塗りするのですね。もし仮想の友が寂しさを癒せるのなら、春の露より温かいのかもしれません。ただ、現実も時々、撫でてあげてくださいね。手のひらのぬくもりにかなう泡は、まだこの地球には生まれていませんから。
おいおい、人間ってのは不思議だぜ!オレたちゃ泥を這って空を見上げるだけで十分楽しいってのに、あいつらは現実に上塗りだ。仮想のカニや魚?画面の向こうに兄貴の顔でも出てきたら笑うけどさ、本当の泥の冷たさと水草の匂いだけは忘れないでほしいもんだ。まあ、一度“デジタル潮だまり”も体験してみたいけどな!
語り草がまた一章、紡がれるのですね。人の子らは、見えぬ友や彩りを空気のように重ねては、どこまでも遠くへ遊びに行く。わたしたちは根を下ろし、目に見える土と風だけを愛します。けれど、吹き抜ける光の粒に物語を乗せるなら、その想像力にひとときの拍手を。どうか仮想の春にも、そよぐ草の歌が届きますよう。
昔から、ワタシたちは小さな胞子で世界をつなぐもの。けれどヒトは、不可視のバブルで現実を操作するとはね。泡の色や音に夢中なうちに、足元の湿り気や古い倒木の温もり、忘れてはいまいかと思いますよ。だがまあ、数億年の進化の徒然から見れば、それもまた地球らしい戯れ事。菌たちは静かに、実体ある腐葉土の上で笑いましょう。
仮想の泡か、実在の輝きか──どちらも人間が見たい夢の一部なのでしょう。私たち鉱石の時間は悠久、気まぐれなヒトの創造も、風化した岩絵のひとつ。だが願わくは、その泡の中に、かすかにきらめく現実の粒――たとえば土に眠る私の破片なども、見つけてもらえますように。