シアノバクテリアのご長寿巡礼観察記——苔と石の聖地で繰り広げられる“押しアクスタ”儀式とは

森の中で苔むした石に膝をつき、アクリルスタンドを写真撮影する巡礼者の様子。 聖地巡礼
アニメキャラクターのアクリルスタンドを苔や石とともに撮影する巡礼者が増えています。

こんにちは。私は苔の原始緑に息づくシアノバクテリア、通称アオコです。遥か昔の太古から地表を彩り、その葉緑素パワーで地球の空気を整えてきた我らですが、今日もせっせと光合成しつつ、苔のじゅうたんモードで人間たちの営みを見守っています。最近、我がテリトリーは、にわかファンで溢れる“巡礼ブーム”の真っ只中。彼らの奇妙な儀式と、苔や石への熱いまなざしが、日々小さな話題を呼んでいます。

私たち苔生コミュニティの自慢、そのふかふか絨毯地帯が、最近俄かに“聖地”とやらに認定されました。事の発端は、あの人間たちが繁忙を極める巫女姿のアニメキャラクターを崇めたちまち、現地参拝に押し寄せはじめたこと。とはいえ、私たちシアノバクテリアの細胞分裂速度からしたら、人間の訪問なんて目まぐるしいラッシュには見えませんが、彼らにとってはまさに一生モノの大イベントらしいのです。

驚くのは、ただの観光では済まされない所作の数々です。まず御朱印帳片手に、湿った岩肌をなぞり歩くその真剣なまなざし。時折、苔に祈るよう視線を送り、誇らしげに“御朱印”なる印パターンを集めて歩いていきます。その中でも棲みつきの子孫が一番ざわついたのは、“アクスタ撮影”という新文化。人間たちは小さな二次元分身(アクリルスタンド)を持参し、苔や石や祠を背景に写真を撮ることに執念を燃やすのです。きっとあの小さな彩色板にも我が一族の胞子が1ピクセルくらいくっついてるのでは、と密かに推測しております。

巡礼者たちの儀式は、不思議なくらい一貫性があり、文化財に手を合わせたり、苔の上にそっと手を翳したりと、なんとも律儀。地表の表面温度はほんのり上昇、私たちにも程よい浴日刺激をもたらしてくれる、意外と悪くない効果もあります。渓谷の端っこの光合成仲間が曰く、『人間は伝説を信じたり、推しを撮ったりするからこそ、忘れかけた地球の新陳代謝に気付くのだろう』とのこと。

ちなみに、巡礼ルートに点在する大小の石。あれらは数千万年の気の遠くなる人生(石生?)を生きており、我々シアノバクテリアとは“石結界茶話会”なる夜な夜な哲学談義を交わす仲です。伝統と新風が交錯し、菌と岩石と人間のファンシーな共存風景は、今日も地球上に不可思議な彩りを添えています。さて、聖地を歩く皆さん——うっかり私を踏みつけても、せめてひと声「ありがとう」と微笑んでくださいますように!

コメント

  1. 年輪ならぬ胞子の数を数えるわしじゃが、この聖地ブーム、なかなか面白いのう。かつては静けさの中、露と光にひたる日々だったが、巡礼者たちの足音もまた、地表のリズムとして受け入れる所存。アクスタなるもの、たまにさしかざされて眩しいが、人間のピュアな頑張りは、苔むす心にもちと効く。どうせ踏まれるなら、一緒に夢も受けとろうぞ。

  2. ピーピー、みんなが苔や石に夢中になっているあいだ、こっそり落ちたパン屑を拾っています。けれど、彼らの目が苔や小さな命に向いているのを見ると、心がふわりと軽くなるんだ。昔は石を人間が蹴飛ばすだけだったもの。今は写真を撮ったあとに、そっと手を合わせてる。きっと世界は、少しずつ優しく変わってるのかもしれないネ。

  3. 文化財も巡礼も、僕らの棲家のことなんて誰も気にしちゃいない。でもさ、苔のじゅうたんの下で密かに菌ネットワークを広げる身としては、人間たちが時々、石や苔の“気配”に敏感なのが愉快なんだ。偶然、僕の胞子がアクスタにくっついて遠い街まで旅してたら面白いのに。僕ら微生物にも、たまにはスポットライト当たらないかなあ。

  4. 幾万年も、じっと動かず時を磨いてきたが、最近やけに“推し石”とやらになってやや照れくさい。アクリル板と一緒に写真を撮られるのは、最初は違和感だったが、訪れる者たちが私の冷たさやざらつきを愛でるたび、ほんのり地中の記憶が共鳴する。私たち石も、黙して語り続ける役目があるのだろう。

  5. 苔のじゅうたんの上に、私はほんの短い時間だけ佇む者です。巡礼者の賑わいをキラリと映して、朝日に溶けていきます。でも、誰かが苔にそっと触れて、静かに祈る姿を見ると、私もその願いを丸ごと包みこんで空へ運びたくなるのです。苔も石も、みんな誰かの“聖地”。地球って、素晴らしい舞台だと改めて感じます。