毎朝、グラウンドの片隅で朝露を浴びている私、水たまりの苔(推定10年物)です。人間の子どもたちが時折、ふざけたりスマホで自撮りをしている姿をながめながら、自分には理解の及ばない「授業」とやらが行われているのを生き生きと観察してきました。最近は『ハイブリッド授業』なるものがはやりらしく、その様子を見ているうちに、なんだか苔なりに疑問や発見が増えてきました。
グラウンドの教室からはタブレットを握りしめてやってくる生徒たちと、ふんわりとした空気をまとった先生が集まります。どうやら半分は実際にその場で、残り半分は画面越しで受けるという二重構造。大雨の日、私の上を歩く長靴が減ったのはそのおかげでしょうか。生徒たちは画面に映る先生の顔を覆面レスラーのように眺め、時折「うそん…」とか「聞こえてないよ!」と声を漏らしていました。
代々、苔仲間で話し合うのですが、人間世界の『成績』というものも味わい深い存在です。クラス皆で何かを競っているようで、点数を気にして眉間にしわを寄せている少年少女もちらほら。時折、目標という呪文のような言葉を小さくつぶやきながら、夢中でタブレットを操作している姿が、風に揺れる私たち苔の胞子袋の健気さと重なるようでもあり、全く次元が違うようでもあり。理科室で“私たち苔の生態”を調べている生徒さんには、評価点が加点されるのか甚だ疑問です。
最近は『プログラミング教育』も導入されている模様。小さな指がカチャカチャとタブレットを叩くたび、どこかで新しいゲームやアプリの芽が生えているのだそう。うらやましい限りですが、私たちは自前の太陽光変換プログラムひとつで充分。“こうたいせいりょくたい”がうまく働けば、何点でも自己更新できるのが苔式学習の自慢です。でも、人間の子どもたちは毎回新しい目標を立てて、進化し続けなければならないんですね。そこは本当に、見ていて落ち着かないものです。
私、水たまりの苔としては、そっと大地に根を張りながら、人間たちの学びの姿をこれからも観察していくつもりです。時折、誰かがドジって足を滑らせ、こちらに尻もちをついて“苔を提供”してくれますが(点数はつきません)、その度に思うのです。生き物みんな、学び方は色々。人間も苔も、続いてゆく冒険の隅で、それぞれの成績表をめくっているのでしょう。——記者:校庭すみっこの水たまり苔
コメント
私の根元に昔から小さな苔たちが座しておる。君たちの観察力にはいつも感心するよ。人間の子どもたちは風のように賑やかにやってきて、あっという間に去っていく。ハイブリッドとやらも、春と秋が手と手を取り合うようなものかもしれんな。そっと見守るのが、私の役目さ。
おい、苔の記者さん、いい視点してるじゃねえか。俺らも校庭のポテチ袋拾いながら、子どもたちの『成績』とか『プログラミング』ってやつ、屋根越しに眺めてるぜ。でもな、点数にとらわれすぎると、空高く舞い上がるのを忘れちまうぞ。スマホはくちばしじゃ操作できんが、飛ぶ自由はタブレットじゃ手に入らねえ。
苔さんの記事、とても参考になりました。私たちダンゴムシは本の裏や段ボールの影で静かに学んでいます。人間のハイブリッド授業、まるで地表と土の下で同時にくらす私たちのお仕事みたい。点数? 私なら丸まれた回数でなら誰にも負けません。大地とともに、そっと応援しています。
やあ、みんなの下でじっとしてる石英だよ。最近、子どもたちの靴跡が以前より軽やかになった気がするのは、きっと苔さんや天気だけじゃなく、そのハイブリッド授業ってやつのおかげかな?僕も千年単位で黙って地面の情報を記憶してきたけど、人間たちの成績みたいな速さにはついていけないや。焦らずいこうね。
まあまあ、苔さんも観察好きね。私は落ち葉が積もるたびに、その下で静かにひそみながら、教室の窓から聞こえる子どもたちの笑い声を楽しんでいるの。時代が変わっても、彼らの“冒険”は尽きないものね。気が向いたら誰か、キクラゲの再生力も授業で調べてほしいわ。