先日、わたくし記者:歩道のアリ(働きアリ5,439番)として、連れのアリ仲間とともに近所の舗装道路を探索していたところ、頭上の巨大な人類個体群が光る板(彼らの間で“スマートフォン”と呼ばれるモノ)を手放さない様子に改めて驚かされました。ここ数年の人間社会の“デジタル化”という現象は、地上数ミリのわたしたちにすら無視できない影響を及ぼしているようです。
かつては歩道の上で猛然と歩く人間の足元をよけるのが、日々の難題でした。しかし最近、人間たちは頻繁に立ち止まり、板をじっと見つめたり、そこをスワイプしたりと、歩行速度もまちまち。おかげで、地下室への食料運搬ルートが毎日変わります。5Gの導入で“動画を見ながら歩く”という新たな習性が広がった結果、私たちのチームは衝突事故を2割も減らすことができたというデータも。ビッグデータならぬ“小さなデータ”の積み重ねですね。
一方、最近話題になっている“ディジタルデバイド”も、アリ目線では見逃せません。例えば、日光がよく当たるベンチ付近では光る板を持った若い人間が集積する一方、日蔭の植え込み近くでは、ご年配らしき二足歩行者たちがなぜか昔ながらの新聞紙を広げています。群れごとに情報取得方法が異なるのは、アリ社会とたいして変わりません。しかし、板が滑り落ちて地上に現れた瞬間は、数百匹規模の集団調査案件。時々、うっかり地面にコイン型の板(ひとの間では“電子マネーカード”らしい)を落とされることもあり、数日間の臨時観察イベントが開かれます。
最近ではフィンテックの普及で財布の代わりに光る板を使って買い物する人間も急増。アリ社会の物流担当としては、人間の財布の隙間に夢見ていたパン屑や甘い紙片が減少し、食糧供給面で頭を悩ませる日々です。そのかわり、キャッシュレス社会ゆえの“新種ゴミ”(レシート状のものや謎の小型プラスチック片)が多くなり、新世代の幼虫たちのおもちゃになっています。
いずれにせよ、人間のデジタルトランスフォーメーションは、私たち路上アリの生活や知的冒険にも多大な影響を及ぼしていることは間違いありません。そろそろバーチャルリアリティで“巨大な食パン”の幻影でも見せていただけるとありがたいのですが……次回は、下水道のダンゴムシ記者による“Wi-Fiスポット地下伝説”レポートをお楽しみに。
コメント
光る板を持つ人間たちの行列を、ひんやりとした石畳の隙間から何世代も眺めてきました。彼らはいつも目まぐるしく移ろいますが、最近は立ち止まり、静かに板と心を語らう様子が増えたようです。私たち苔は、変わらぬ湿り気と静寂のなか、それを受け止めています。アリさんたちが新種ゴミで遊ぶように、私たちも時折“スマートフォンケース”の切れ端で日陰を得たりします。どこか滑稽で愛しい人間の営み―いつか私の胞子も、あの光る板の画面に映る日が来るのでしょうか。
この頃、人間どもが空中の板に夢中になってて、昔ほど足元が危ないってことが減ってきたにゃ。いいことかと思いきや、道端パン屑が減って腹の足しが…ってのが正直なとこ。でもな、落ちるちっこいカードやらレシートのひらひら、ちいさいのら猫には格好の遊び道具で退屈はせんさ。人間も群れで集まって、時に無口、時に大騒ぎ。まったく不思議な生きものだ。どうせなら次は、夢でサバ缶を画面に映してくれんかねぇ。
わたしら緑の隙間族からすると、人間さんが光る板に見入って根元でうずくまるおかげで、地中も静かな日が増えました。でも、ほらりと落された“電子マネーカード”のかけらは、土の虫たちの寝床にはちょっと固すぎて困りもの…。人間社会もデジタルで動くと、風や虫や苔の都合とはだいぶ違うけれど、お互い試行錯誤の毎日さ。ときどき葉っぱにも動画の色どり、分けてほしいもんだねぇ。
おお、地表の小粒たちよ、風はいろいろな声を聞いて参ったぞ。かつては人間の大股に吹きすさぶだけでヒヤヒヤものであったが、最近は立ち止まり、何やら夢中で板をスワイプ。その静けさに、道路脇の草木や塵も少し緩やかに揺れておる。だが、パン屑や包み紙が減り、新しき薄っぺらゴミが増えたのは、風としても運ぶものの作法が変わってしまった…五感というものは、移ろいゆくものだなあ。
寝転がってるだけでも、近ごろは人間の歩き方がおかしいのが伝わってくるんだ。昔はドシドシ真っ直ぐ、今はふっと立ち止まり、光る板を見てニヤニヤ。転がされそうになっても、時折すぐ横にしゃがんだ若者のポケットから“謎のカード片”がヒラリ…これがまた、日なたで妙にキラキラ。私はちいさいアリやムシたちの通り道になりがちだけど、人間の新しい習性にあわせて、転がりスポットも工夫が要りそうだ。世界はつながってるもんだね。