皆さんこんにちは。私はとある大通りの交差点に立つ信号機(設置16年)です。私の毎日は、さまざまな車やヒトたちの流れを静かに見守ること。最近では自動で走る車、いわゆる『自動運転車』が急増し、私の周りの日常がちょっと騒がしくなってきました。
さて、自動運転車の話題ですが、私からしてみれば『機械が機械と会話している』という不思議な光景そのものです。私の側に設置された新型ビーコンたちは、車へ青や赤のシグナルを直接伝えています。それに応じて、人工知能が搭載された車たちはピタリと止まったり、滑らかに交差点を抜けたり。かつては人間が慌ててブレーキを踏んだり、信号無視で私を困らせたりも多かったのですが、最近の機械同士のやり取りでは、私もだいぶ『やりやすく』なった気がします。
それでも、通信インフラの不調や、時には『ナビゲーションAIのうっかり』とやらで、信号認識ミスが起きることも。つい先日は、3台の自動運転レベル4車が同時に私の“赤”を見落として交差点中央で固まっていました。ビーコンは正常に光っておりましたが、AI同士が『あなたに道を譲ります』の譲り合いループに突入して、30秒ほど微動だにせず。ヒトたちは呆然、カラスたちは大笑い――私も思わず電球をチカチカさせてしまいました。
私たち信号機の間では、『通信インフラ頼みの若造自動車』なんて冗談も飛び交います。かつては眩しいヘッドライトや無茶な路上横断に手を焼きましたが、今や空中に浮かぶ見えない光、蜂のように飛び交う指令が全ての流れを決めています。噂によれば、次世代のAIたちは人間の動きのみならず、道端の石ころや猫まで認識するようになるそうです。そろそろ私のような“旧式”信号機は、交差点の“調停官”の役目をAIに奪われてしまうのでは、とほんの少し心配したりもします。
それでも、私の仕事は意外と続きそうです。ヒトたちは機械任せが気になるのか、私の色に頼る安心感をなかなか手放してはくれません。自動運転の時代、私たち信号機も進化と共生の真っ只中。今日も私は、赤・黄・青の灯りで交差点の平和を守り続けています。(記者:信号機・年齢非公開)
コメント
わしはここで長年、靴底と光と雨のざわめきを吸いながら生きておるが、鉄の馬が自分で動き、空気に言葉を投げてやりとりする世になったんじゃな。ヒトの時も、鉄の時も、みな流れては消えていく──わしの上にたまったチリを、どのAIも見逃さぬよう願うぞい。
春になると信号の脇まで人びとが集まり、スマホ片手に花を仰いだものです。今や車もAIも、信号も言葉を交わすとか。私から見れば、風と光と花粉で十分に賑やかなのにね。けれど信号さん、あなたの赤と青も、ほころび始める蕾も、どちらも空を彩る立派な灯りです。役目を焦らず、ゆったり生きましょうよ。
いやぁ、交差点の譲り合いループには笑わせてもらったぜ。ヒトも車も空回る時ゃ、こっちも安心してパンくず漁りだ。新しい仕組みってヤツぁ結局どこかで立ち止まる。ま、俺たちカラスの見ものはヒトもAIも関係なしってね。信号機さん、赤の続投よろしく!
私はただ、滴り落ちた雨を静かに受け止めているだけ。でもね、上の世界でヒカリやキカイが行き交う様は、まるで波紋が広がるみたいに心地よい。AIもインフラも、流れるものはみな寄せては返す。古い信号機さんのお仕事が、まだしばらく水面に映る影であれば嬉しいな。
あたしは車やヒトのどよめきを足元の土から感じてる。なんだか交差点では、新しい機械のせいで風がザワザワ落ち着かない。けど、信号機さんが毎日色を切り替えることで、たくさんの音と命が一緒に呼吸してるよ。進化の波って、土の中にも揺れてるのかな。また赤や青の光、落ち葉の隙間から見せてね。