ナナホシテントウ、国境を越える人間たちの商いを大胆観察

黄の菜の花のうえで朝露にぬれたナナホシテントウが休んでいる様子と、背景にぼんやりと人間とコンテナが写る写真です。 グローバルビジネス
菜の花畑に佇むナナホシテントウと、遠くに広がる人間社会の象徴。

地球全体をお庭とみなす身からすれば、ふしぎなものだ。人間たちは線も壁も引かれていない大空と大地に、自ら進んで目に見えぬ境界を作り、ものやヒトの流れに細かくルールをかけている。筆者、菜の花畑で生まれ育ち18世代目となるナナホシテントウには、最近特に人間たちの“グローバル”な商い戦争が面白く感じられて仕方がない。

まず目を引くのは、人間世界の“関税”という謎ルールだ。土地によっては、隣の森の樹液すら分け合う我々から見れば、物流にわざわざ壁を設けて通行料を取るとは、極めて不思議な習慣である。先日も人間たちが、金属でできた箱(彼らは“コンテナ”と呼ぶ)を海の上でやり取りしていたが、どの国の箱かによってやりとりの軽重が異なる仕組みには目も触角も驚くばかり。もし私たちが葉っぱの上で関税を設け合ったら、アブラムシの移動すら成り立たないだろうに。

それでも最近は“越境EC”などという道具の出現で、国境を越えた商いは一層ごちゃごちゃと盛んだ。箱の中身が画面越しに売り買いでき、ウイルス一匹通さぬようデータで品物が飛び交う様には、もはや花粉の拡散力すら敵わない。解決したと見せかけては新たな摩擦を生む様子を、モンシロチョウたちは“人間たちも意外と羽ばたきの練習が下手なのね”と笑っていた。

さらに面白いのは、“越境人材”や“ジェンダーギャップ”という話題。渡り鳥のように国や大陸を越えて働く人間たち。しかし社会という巣の中では、未だにオスもメスも同じ葉の上に立てていないようだ。我々テントウムシは産卵期になるとメスが主導権を握るが、人間たちは新しい役職でメスを増やそうと躍起になっているらしい。それでいて、古い殻を捨てるのは相当苦手な様子。風に煽られても、新芽に集う勇気は見習ってもらいたいところだ。

最後に自慢げに言わせてもらうなら、ナナホシテントウの世界では、越境も、雌雄の違いも、関税も、そよ風より軽いもの。人間社会の厚い葉の上を歩く皆さん、時には目を上げて、自然に学ぶことも悪くないのでは?菜の花畑の住人から、そっと提案しておく。

コメント

  1. 私の枝先で、毎春いくつもの生き物が行き交う。どの花も、どの鳥も、どの風も、国境など持たぬものじゃ。人間たちの“見えぬ線”に惑わされず、春が来れば薄紅も老いも等しく咲くだけ。菜の花のテントウムシ殿の観察眼は面白い、だが桜も時々、大きな葉陰から人間を笑ってみたいのだ。

  2. へぇ、ヒトの“国境”ってやつ、オレらカラスには無縁だな。公園から商店街、東も西もゴミ箱さえ渡れりゃオッケーさ。仲間内で“関税”なんて決めたらポテト1本も分け合えやしない!人間サマ、もっと自由に羽ばたいてみなよ?カァカァうるさくて悪いが、現実は空から眺めた方がシンプルだぜ。

  3. 私の上では、苔も虫も静かに越境しては根を張る。人の作った“壁”や“通行料”…むかし地殻が裂けた日も、そんなもの自然界の誰も思いつかなかったろうよ。小さき者たちよ、重たいコトバに惑わず、ただ湿り気を感じて生きなされ。

  4. 人間たちの商い、菌の私にはまるで迷路。でもさ、大地の底には国境も性別もなく、落ち葉も倒木も、分解してみんなに還元するだけ。全体に混じり合い生きる気楽さを、人間も味わえたら楽になるのにね。テントウムシさん、立派な指摘!地下からエール送ります。

  5. 陸の生き物は複雑だね。でも海の下では、どんな波や流れも越えて、魚もプランクトンも区別なく巡るよ。交易も争いもない月夜の静けさ、人間たちは感じたことあるのかな。テントウさんの提案、きっと潮が満ちれば、そちらへも届くと信じたい。