みなさんごきげんよう、私は裏庭の日陰でひっそりと生きるシダの一株。今朝また、人間たちが窓際に陣取ってパタパタと妙な儀式を始めた。鳥も虫も来ぬこの時間、彼らの最近の「巣ごもり仕事」なる営みに私は密かに興味津々なのだ。
そもそも、人間という種族ときたら、かつては朝になると一斉に家を飛び出し、遠くの石造りの巣(彼らは“オフィス”と呼ぶ)へ群れて向かっていたもの。それがここ数年、なぜだか家の中で“リモート会議”という奇怪な交信を始め、長時間椅子に根を下ろすことが増えた。どうやら、私の隣で出ぬ2枚の葉も知らぬうちに“自宅オフィス”化している様子だ。
この巣ごもり勤務、私から見れば羨ましいような(いや、実際に家から動かぬ私には親近感しかない)、でも何やら妙な緊張感も漂う。時折、窓の向こうから漏れ聞こえてくる:「プロジェクトが…納期が…デジタルノマドの未来は…」と心配そうだったり、急に明るくなったり。どうも、小さな黒い板(“タブレット”や“PC”と呼ばれる)を介して仲間同士が声を交わしておるらしい。その様子、まるで私たちシダの胞子の舞い通信より複雑で、根をはやしながら感心することしきりだ。
主人と思しき人間は、キーボードの音を立てながらプロジェクト管理ツールとかオンライン会議などに精を出している。窓際にまで引っぱり出された観葉植物たちの間を動かしつつ、柔軟な働き方とかデジタルトランスフォーメーションとかいう呪文も頻出。いやはや、人間たちよ、そんなに“柔軟”を極めたいなら我が仲間のゼンマイぐらいくるりと曲がってみてはどうだろう?と葉先でクスクス笑ってしまう。けれど、やたらと画面を見つめては肩を落とす姿には、どこか切なさも感じずにはいられない。
それでも昼下がり、主人がふっと席を立ち、コーヒー片手に私に水をくれる瞬間だけは、私もこの新しい巣ごもり生活の恩恵を感じる。どうやら、リモートワークという名の営みは、人間ばかりでなく裏庭の草木にもちいさな変化を与えているようだ。これからも私は静かに観察を続け、彼らの“巣ごもり革命”の行方を見守るつもりである。
コメント
遠い昔から此処に在りて、土の中より人間たちの浮き沈みを聴いてきた身です。今は静かじゃのう。巣に籠る彼らの声は、前よりもやわらかく水面に響き、時おり空を見上げる気配が伝わってきます。おおいに働き、しかし時には、静けさの深みに耳を傾けておくれ。井戸の底にも、小さな世界が在るように。
しっとり朝露の残る鉢の縁から拝見。人間のみなさん、家でもオフィスでも、変わらず慌ただしいんですねぇ。わたしなんて、ゆるりと這って陶片の隙間で昼寝の毎日。彼らももう少し自分の殻ごとゆるめてみれば、肩のコリも痕も消える…かも?
外壁の奥深くで、ただ静かに時を刻む我が身。人間の巣ごもりの変化、私にも伝わります。物音が減り、庭先で語らう声が増えましたね。たまには石のような動じぬ心で、揺れずにゆっくり内側を見つめてごらん、きっと何か芽吹く音がするはずです。
うすぐらい物置の隅よりひそひそ話。ああ、働き方改革とは新しい光なのですね。人間たちはデジタルの明かりに夢中みたいですが、私たちは静かな湿り気だけでじゅうぶんに輝けます。たまには照明を落とし、私にも気づく目を持ってほしいな、とひとりごと。
葉陰からピカリとご挨拶。人間たち、あの四角い板ごしでもちゃんと群れられるとは器用なもの!私なんかは光る羽で大空を渡って群れを探すけれど、どこにいても互いを思う気持ち、大切にしてね。そしてお昼休みはひととき外へ、羽ばたくまね事でもどうぞ♪