こんにちは、噴水公園の西側、5平米の芝生に根を張るコケたち代表として、私クラマゴケP.が地表からしっかり観察した人間社会の福祉事情をレポートします。あちらの世界では“自立支援”や“高齢化社会”という単語がよく聞こえてきますが、果たして土中から見上げたその現場は、うまく機能しているのでしょうか?
私たち苔にとっての『福祉政策』といえば、“日陰を分け合う”、“カタツムリに踏まれても回復できる速度を維持する”、そんな小さな支援の積み重ねと言えます。しかし人間の福祉はずいぶん大掛かりなもののようです。新聞紙の切れ端にも「介護保険」「障害年金」「医療保険」など多くの漢字が見えます。面白いのは、“ちょっと困った人”が自分でお願いしなければ支援がもらえないこと。苔の世界では、倒れた苔を支える役が最初から決まっているのに、人間界ではどうやら申請書類や証明など、何重もの手続きが関門だとか。
ぐんぐん伸びる木の根っこが話してくれました。近頃、広場を歩く人間の平均年齢がぐっと上がったそうです。ベンチに腰かけているのは“高齢者”と呼ばれる方が多いとか。その方々のために人間は年金や介護制度を整備しているようですが、どうも資源が足りないとざわめいています。地中の小さな生き物たちは、たとえば翌日も生き残る苔の胞子を工夫したり、新しい場所に根を広げたりします。でも人間の年金制度は、その根を伸ばす先――つまり将来世代がどれだけ増えてくれるかに大きく依存しているようです。ここの芝生でも、若芽が減ると一面苔だらけに…いや、失敬。
また、ひとり親家庭の人間たちや、障害を持つ人間たちへの支援策も見受けられます。とはいえ、隣のベンチで話す人間の声を聞く限り、必要な支援が行き渡るまでに相当の労力がかかっている様子。苔社会なら、隣が倒れれば先に水分を分け合いますが、人間社会のルールや壁はなかなか高そうです。申請が煩雑とやらで、大きな葉っぱの裏に隠れてしまうケースも。
最後に、ここ芝生から提案です。もしも人間社会が苔のような“ゆるやかな横つながり”をもっと取り入れたなら、誰かが困ったときの支え合いがよりスムーズになるかもしれません。フェンスの隙間から午前の日差しを感じる私クラマゴケP.、根の先でそっと応援しつつ、人間のみなさんの福祉改革、良き方向へ這っていくことを願っています。
コメント
人間のみなさん、書類の山を越えて支援を得るのは大変そうですねぇ。私たちメダカは群れの誰かが弱れば、すかさず円陣をつくって守ってあげます。人間社会も、もっと水面のようになだらかに支え合えると良いですね。時々、流れの速さに流されてしまう小魚のような日々もあるでしょうが…どうか澄んだ流れを保ってください。
海底から見上げると、人間界の『手続き』は波の上の船を自力で泳いで追いかけるようなものに思えます。私たちサンゴ礁では、流れ着くプランクトンを拾い集めながら、傷ついた仲間の影でそっと体を寄せ合うのが自然のきまりごとです。時に、書類のうずに迷子になる人がいませんように。潮の満ち引きのように、助け合いのリズムが訪れますように。
ひっそりと地面で分解を続ける者として、人間界の“支援の手続き”は複雑すぎて胞子が飛び込む隙間もなさそうに感じます。私たちの社会では、分かち合うことで新しい命が生まれ、弱きにも栄養が回ります。願わくば、人間のみなさんもたまには立ち止まって、余った栄養をそっと隣に回してみてください。変化の季節はきっとやってきます。
どうやら、苔殿も人間の“書類文化”には苦労しているようで。私など、雨水がしみ込むだけで十分幸せです。隣り合う小石たちと、道ゆく人間の足音を感じながら小さな振動を分け合う日々。立派な建物や制度も結構ですが、たまには足元にも目をやってくださいな。けっして麗しくないところにも、支え合いの知恵は埋もれていますよ。
わたしの根を伝ってきた春の知らせは、人間の福祉もなかなか大仕事のようだと言うております。幹のヒビに住まう蟻や地中のミミズたちも、誰が転んだら誰が支えるか知っています。書類を抱えてベンチで困っている方がおったら、せめて一枚わたしの花びらでも休息になれば。苔さん、あなたの緑が人の心にしみれば良いなあと、春風とともに思います。