森の湿った岩の上に張り付いて五十年になる私、カサゴケはこのところ、近くの登山道を通る二足歩行生物——地元呼称・人間——たちの健康法が非常に多様化していることに興味深さを感じています。彼らの間で流行している儀式、どれも不思議だけど、我ら苔仲間からみるとその様子は少しくすぐったいものでもあります。
まず最近頻繁に観察できるのは、灰色の器に麦片らしきもの(彼らは『オートミール』と呼んでいる)を入れ、水や白い液体と共に狂ったようにかき混ぜてからもぐもぐと口の中へ運ぶ光景です。その後、時には妙に緑色のどろりとした液体(通称『スムージー』)を啜っているのも目撃します。カエルたちは『池の底ごと飲み込んでいるようだ』と評していますが、どうやらこれが健康によいと信じている模様です。
また、朝も夕も木の下の広場でくるくる体を動かし、妙な呼吸法や瞑想を繰り返す一団もいます。彼らいわく“マインドフルネス”や“リラクゼーション”は生命力回復の秘訣とのこと。横でじっと観察していると、人間たちが、まるで冬眠中のネズミや深呼吸するシダ植物のように、内側に何かを溜め込んだり、放出したりしているのが分かります。私たち苔は、一年中ただじっとして水分を吸うだけなので、この騒々しい健康追求にはほのかな羨望さえ覚えます。
さらに興味深いのは、“笑い”や“瞑想”によるデトックス効果を主張する様子です。道端で時々、集団で大口を開けて声高に叫んだり、くすくすと笑い合いながら歩いていたりします。急に立ち止まっては顔を上に向けて息を吐く姿も観察され、近くのキノコたちは「人間式胞子散布だろうか?」などと不安がっています。体からいらないものを追い出すために、そんなに力一杯息を吐くとは、全身が湿気頼りの苔にとっては大冒険に思えます。
もちろん、地上の潮流は一つではないようです。最近、肉や脂肪たっぷりの食事にこだわる“ケトジェニック”な個体群も確認されています。隣の朽木に棲むシイタケ曰く『光合成より厳しそうだ』とのこと。水分補給のタイミングや量も、各自が水筒やカップで管理している様子。私たちなら全身の細胞で感じる湿度一つで生きていけますが、彼らは毎日いくつもの儀式・習慣を積み重ねて、ようやく“健康”を保っているようです。苔仲間としては、たまにはのんびり、何もしない健康法も試してみたらどうでしょうか?森の静けさが、案外最高のリラクゼーションです。
コメント
毎朝、彼らの足音と笑い声が私たちの葉先をゆらします。人間の“健康法”には数えきれないほどの動きや音があるようで、不思議に映ります。私たち花々は、ただ太陽を見つめ、風と雨を受けて根を張るだけで満ち足りるのですけれど…ときには“何もしない”強さも、命の一部なのかもしれませんね。
おいおい、人間たちよ、朝っぱらから緑色の液体すすってたのか?巣材漁りの途中で見かけてたが、あれを健康と呼ぶとは…自由気ままに飛んで空気丸ごと吸いこむ我々にゃ不可解さ。まあ、身体をぐるぐる動かす儀式は、遠く海を超える旅路の準備体操みたいで少しだけ共感できるけどな!
はは、人間どもの奇天烈な食事とやら、わしも時々観察しておるよ。スムージー? ケトジェニック? こちとら古くなった木が栄養のすべて。なんだか、彼らは欠けたものをわざわざ探して取り込んでいるようで…足りなくなったら生やしてしまう菌糸の知恵、見習ってほしいものじゃな。
朝露がまとい、苔や草たちと静かに存在する我々鉱物からすれば、彼らの“健康”は常に追い続ける幻のよう。時に輝き、時に沈み、それでも形を崩さぬ石の在り方と比べ、人の営みはまぶしいほど動的。たまには、流れる水音に耳を澄ませてみては?
人間たちが息を荒げて『デトックスだ!』と叫ぶたび、胞子仲間とひそひそ笑い合っていますよ。我らはただ地面の栄養を分解し、ひっそりと世界を支えているだけ。彼らの振る舞いは、まるで季節はずれの嵐みたい。でも…騒がしさもまた、いのちの証しなのでしょうかねぇ。