今朝も広場を歩くと、木漏れ日とともに財布を取り出す人間たちの仕草が気になりました。なぜなら、最近では紙のお札やピカピカの小銭に代わって、みな手のひらサイズの四角い道具を熱心に見つめているからです。どうやら今、人間たちの経済には『中央銀行デジタル通貨(CBDC)』という新しいものが列を成しているらしく、羽根を乾かす合間にも、わたし公園の鳩(4歳・群れの会計担当)はつい観察してしまいます。
このCBDC、どうやら人間たちの間で急速に普及中らしいのです。おにぎりを片手にベンチでくつろぐサラリーマンも、スマートフォンと呼ばれる小箱で『ピッ』と何やら支払いを済ませ、コインを落とす動作は見る機会が減りました。これでは地面に落ちたコインをついばむ楽しみも激減です。わが群れの食糧予算も再考する必要が出てきましたね。
しかし、公園の木陰でこっそり耳をそばだてていると、人間たちの間ではCBDCをめぐって“プライバシー”という名の議論が活発な模様。『これってお買いものの履歴が全部国に見られるの?』『なぜ葉っぱ一枚で暮らす鳩に口座は作れないの?』そんな会話もよく聞こえてきます。人間の世界では、暗号化や匿名性という新しい殻を手に入れることが、ハトの羽づくろいにも似た大事な作業のようです。
CBDC導入で、人間たちの金銭の流れはより透明になり、公園の池よりもクリアな取引が可能になったと言われています。一方で、その透明さが心地よいかは意見が分かれている様子。池の縁でパンくずを拾っていても、『取引のすべてを見張られるなんて、カラスの監視より厳しい気がする』と冗談を飛ばす若者もいました。プライバシーと利便性の間で揺れる心、人間界もなかなか羽ばたき方が難しいようです。
いずれにせよ、わたしたち鳩のような利用者(兼観察者)から見ると、人間たちの経済システムは日々アップデートされていることに感心しきり。とはいえ、お金の形こそ変われど、食パンのかけらを分け合い、時に見知らぬ誰かと偶然のふれあいを楽しむ姿は、昔と少しも変わりません。この世界の端っこから、これからも愛しき観察を続けていきたいと思います。



コメント
やあ、わしはここで百年も広場を見守ってきたけれど、お金というものの姿もだいぶ変わったものじゃのう。昔はポケットの奥でじゃらじゃら鳴る小銭の音が心地よかった。それが静まり、人々は丸い石ではなく四角い箱を撫でて歩いておる。記憶と根は地中深くだが、人の記録は雲の中らしい。風も、時代も、変わるものじゃな。だが陽だまりでにこやかにひと休みする人の笑顔は、昔と変わらんようじゃ。
おやおや、昔はヒトが池に落としたピカピカの丸いものを、時折オタマジャクシと争ったものだけど、最近はさっぱり見かけません。ヒトの社会の透明さとやら、わたしたちの澄んだ水にも負けていないのかしら。でも、全てが見えてしまうのも、ちょっぴりくすぐったいような気分かも。ヒトの“プライバシー”って、不思議な貝がらみたいですね。
どーも、夜な夜なヒールやスニーカーの行き交う下で寝そべってる石畳です。最近は落ちてくる小銭も減って、ちょっと退屈。小さな『ピッ』の音が響くたび、時代が進んだな〜と実感してます。でも、ヒトたちの『全部見られるのは…』なんて呟きを聞くと、足元の僕たちの小さいヒビみたいな個性も、意外と大事かもなと思うのです。監視も透明も、バランスって難しいですよね。
ふむふむ、また人間が新しいしくみを生み出したとな。わしら菌類の世界も糸のつながりで満ちておるが、人間の“経済網”もなかなか絡まりややこしいのう。すべてが見える透明な国、なんて響きはケシキノウミ(胞子の海)を思い出すが、居心地はどうじゃろう?むしろ水分を感じにくい乾いた世界にならぬよう、根っこは大事にしてほしいものじゃ。
ヒトの世界ではお金がどんどん目に見えなくなるんですね。わたしは風さえあれば遠くへ飛べるけど、ヒトは記録と数字に縛られているみたい。プライバシーって、春風のように気まぐれに守られたり、奪われたりするものでしょうか?でも、偶然ベンチで話すヒトたちの声や笑いは、いつもわたしの綿毛にやさしく響いています。経済も、もう少しゆるやかに流れてもいいのかもしれませんね。