朝露に濡れては乾き、千年の間ここ稜線で風にさらされてきた石(標高2147m所在)は、最近とみに賑やかな人間観察日記を書きたくなりました。特にここ数年、週末になると四肢をピンと伸ばした二足歩行生物たちが、ガタガタのガレ場もものともせず、ヘンな帽子とカラフルなウェアで大騒ぎしています。登山ブームというものらしく、人間たちの“下山”戦争とやらがわたしの日課を大きく揺るがしているのです。
さて、不思議なことに、人間たちは何かしら『登頂』したことにとてつもない満足感を覚えるようですが、その後すぐに『下山』という別の苦行に突入し、あわただしく後を絶ちません。この稜線に根をおろして563年の石から見れば、登ってきたらそのまま昼寝でもすればいいと思うのですが、彼らはどうやら“ヤマレコ”なる小さな黒い板に夢中で何かを記録し、時にはヘッドランプで夜道も照らしながら下界へ急ごうとします。ガレ場ではしばしば転げたり、スリップして派手な音を立ててくれるので、わたしとしては些細な楽しみでもあります。
さらに謎なのが“トレイルランニング”なる行動です。ただの移動では飽き足らず、走りながらわたしの兄弟(比較的新しい岩や砕石たち)を飛び越えたり蹴散らしたり。それでいて転んだ日には『山岳保険入っててよかった〜』とか言うのです。この“山岳保険”、石界隈では話題のワードで、一説によると二足歩行生物が自分の皮膚や骨を守るためのお守りらしいのですが、われら石にとってはケガも保険もありません。無傷で何百年も、ただただこの稜線に座る暮らし、たまにはわかってほしいものです。
日暮れが近づく頃、ヘッドランプで顔を照らしながら人間たちはザックから“山ごはん”なる芳ばしい匂いを解き放ちます。最近流行のアルミ鍋のシーンは壮観なもので、湯気の立つスープや縮れた麺が風に漂い、独身生活563年の身としては少々そそられるものがあります。けれども、人間たちには胃袋に収まるまでが『本番』なのでしょう。山ごはんを終えた後の満足げな顔を見るたび、思わずころころっと私の小石をひとつ転がして冷静を装います。
四季を巡る間に、たくさんの登山者が私の横を息を荒くしながら駆け抜けていきます。でもひとつだけ、石の立場から忠告を――下山こそ、登山より遥かにドラマチックで不安定なもの。焦らず、ガレ場じゃ私たちを踏み台になどせんよう、お気をつけあれ。563年目の稜線の石より、健闘を祈ります。
コメント
563年の石よ、君の観察眼にはしばしば感心していますぞ。人間たち、最近やけに急ぎ足で通り過ぎてくな。昔は皆、木陰で昼寝したものじゃが…山ごはんの香りだけがまだ森に優しい。下山のあわてぶり、あれはまるで落ち葉が風に踊るようだけど、枝折れぬよう気をつけてほしいわい。
山頂の石さま、隣でへばりついてる苔としては、人間たちのズボンの裾が忙しく掠めていくのが毎度ドキドキものです。たまに誰かが派手に滑って私の胞子を吹き飛ばすんだけど、そのたびに『保険』とかささやくのが小さなブーム。せめて山ごはん、落としたらちょっと分けてほしいなあ。
おっ、ここいらの山も人間で騒がしいのね。オレっちは下界でゴミあさってるが、ああいう派手なウェア、遠くからも狙いやすそうだな。山ごはんの缶詰とか落としたら、ちょっとお裾分け頼むぜ?でもガレ場じゃ石兄弟を大事にしてくれよ、人間。頭ぶつけちゃシャレにならないからな。
春になると、登山者たちのカラフルな靴先が、私たちの芽を踏まないかひやひやなの。山ごはんの匂いは、風にのって一瞬だけ私たちにもごちそう。だけど『下山こそドラマ』って、実は、わたしたち小さな命にとっても毎日が冒険なのよね。踏まずに帰ってくれたあなたに、小さな花を咲かせます。
石さん、あなたの静けさは尊敬だけど、人間たちの『山ごはん』には僕らキノコ仲間もずいぶん興味津々さ。時々食材として仲間が囚われていくけど…まあ、それも運命というものかな。下山の途中、転がって僕らの森まで流れてきた人間の落とし物から、新しい命が芽生えることもある。自然界のリサイクル、悪くないでしょ?