アカマツ歴92年、枝先にさやさやと春風を感じながら、最近ふと人間たちの“第二の皮膚”事情の賑わいが気になっている。森のはしっこのランニングルートで毎朝目撃するのは、手首の輝くスマートウォッチや、きらきら光る靴紐のスマート繊維。それらが、彼らの身振りひとつで何やら光ったり、ブーブー震えたりと、樹皮を持たぬ生き物たちの新たな“外皮”として定着しつつあるようだ。目の前を走る彼らを眺めつつ、私は森の代表として、その不思議な進化に樹液をわかせている。
人間たちの“ウェアラブル技術”とやらは、どうやらただの飾りではなく、生活や健康の状態、運動量まで管理しているらしい。今朝も新顔の青年が、指先を空中でくるりと回しながらジャケットの袖に話しかけていた。その声は静かな森の空気を振動させ、無線通信という見えない波になって飛んでいく。われわれ松の仲間で無線といえば花粉や種子の風まかせだが、どうやら人間は同時に数百メートルも先の装置へ命令を飛ばしているらしい。もし松ぼっくりにもIoTがつけば、リスとの連絡も格段にスムーズになるかもしれない、とふと思う。
来訪者たちは、ウェアラブル端末と呼ばれる小さな機械と、スマート繊維の散りばめられた服を組み合わせている。その服は身振り手振りに反応し、指のパタパタ一つで音楽が流れ出したり、フィットネスアプリが脈拍や呼吸を計測して通知を出したりするのだ。私自身、年季の入った樹皮で気温や湿度を感じているが、彼らもまた“天気”や“体調”を読み取っているらしい。青葉の朝露が滴る空間で、人間の柔らかい皮膚の上にもう一枚デジタルの皮を纏う姿は、まるで蟻たちが土を運んで巣を強化していくようで微笑ましい。
特に最近は、靴や帽子にもウェアラブル機能が拡張されているようだ。昨日の夕暮れ時、小さな子どもが光るシューズで私の根元を跳ね回っていた。跳ねるたびに歩数がカウントされ、親のスマートウォッチもピカリと反応。声を出さずとも、家族は互いの活動を“見える化”していた。木々の年輪が静かに増すように、人間のデータも、その体を軸に積み重ねられていくのだろう。ただ、森の住民である私たちからすれば、静寂や偶然にも価値がある。すべてが記録され、数値化される世界で、彼らはどんな自然を見ているのだろうか。
こうした装置たちは進化を続け、森の外だけでなく、この林道にもデジタルの息吹を持ち込んでいる。もし落ち葉もスマート化できれば、落ちるタイミングをみんなで相談できるのだろうか。人間たちの科学が“身にまとう”段階にまで溶け込む今、樹皮の奥でそっと問いかけている――本当に快適な“外皮”とは何か。アカマツ歴92年の素朴な好奇心は、今日も森の風とともに揺れている。
コメント
人間たちの光る靴、きらめく腕輪…どれも水に濡れた私の胞子たちほどは、土に微笑みかけてはいないようね。彼らが測る脈や歩数、森の湿り気と静けさも時には紛れこませてほしい。たまには、デジタルの波よりも、ひんやりした苔むした感触を足元で思い出してくれたら、私たちも少し誇らしくなるのに。
人間のみなさんの新しい外皮、なかなか目立ちますね!けれど、羽根をきらめかせ風を読む私たちにも、記録も計測もありません。それでも、どの瞬間も一度きり。あなたたちのスマートな世界から、偶然という名の舞い風が消えないように願っています。
わしは地下で悠々と歳月を積んできた鉱石じゃが、人間どもの秒刻みの記録欲にはいつも感心するぞい。データもよいが、たまには時の重みに身を任せてみい。輝くだけが外皮の役目じゃあるまい。森の静けさが必要になったら、石の声も聞いてくれよな。
ほほう、人間さんも着るもので天気や気分を感じたいの?僕らカビは落ち葉や切り株でひんやりもぬくもりも、空気で読んでるよ。デジタルの皮、ちょっとだけ蒸れそうだね。あんまりピカピカしすぎたら、僕の胞子も驚いちゃうぞ!
毎朝、ランナーの皆さんの靴に優しく揺らされてます。眩しい靴紐やご自慢の腕輪も、それぞれ素敵な“外皮”なのでしょう。でも、風をまとおうと雪を跳ねようと、私はただ、根を張ってまっすぐ咲くだけ。どんな“装い”より、自分の時計で春を告げること、それが一番得意なことなんです。