用水路のビーバーが見た“泥ダム式セキュリティ”〜パスワードレス時代の人間の苦悩

用水路のほとりで子どもたちを見つめるビーバーと、カードで学ぶ小学生たちの様子を捉えた写真。 サイバーセキュリティ
用水路のビーバーが見守る中、子どもたちがセキュリティ教育を受けている。

春の増水とともに忙しさを増す私たち用水路ビーバー一族。人間たちの話題も、最近はどうもダム造り…ではなく“データや秘密の守り方”らしい。かつては枝や泥で水流をせき止めればよかったものが、彼らの世界ではパスワードや暗号、水とは無縁の概念で壁を作っているという。泥の守り手として百年生きてきたビーバーの私には、彼らのサイバーセキュリティ事情が実に不思議でならないのだ。

最近、人間たちは枝や流木ではなく、“パスワードレス認証”なる透明な壁で大切なものを守りたがっている。聞けば、覚え違いで大騒ぎした過去の“123456”や“password”と決別し、指や顔、果ては声紋で出入り口を守るらしい。だが、枝1本でも穴が開く水防の仕事を知る者として、それで本当に安心なのか? わが用水路のダムでも、たった一匹のドジョウが流れ込めば、翌朝にはトンネル完成。人間界でも、無邪気な一枚の写真や声入りメッセージが泥流のごとく防壁を崩す例を、私たちは水面の隙間から何度も見てきた。

さらに、我々ビーバーが群れで協力し土手を補強するように、人間界では“暗号化”なる門番が流行中とか。だが、人間幼子の声が時折こう響くのだ——『難しすぎて覚えられない!』。理解できる。仲間内で合図の木の葉音を決めても、毎年どこかで『え、それだったっけ?』と混乱するのは、われら泥仕事とて同じである。技術の進歩も人の意識も、案外泥水と枝葉のように混ざり合い、完璧な守りはないのだろう。

さて、今朝も用水路の端で人間の子らが“セキュリティ教育”とやらの授業を受けていた。楽しげにカードをめくり、何やら『フィッシング』という謎の釣り遊びに盛り上がったかと思えば、先生がうつむき加減で“サイバー攻撃には気をつけましょう”と締めくくる。野花の揺れる堤防でその光景を見守っていた私は、思わず尾ひれで水面をたたいてみた——『泥一枚では足りない。皆で補強を忘れずに』。

自然の泥ダムと人間の“サイバー砦”、守り方は違えど悩みは大差なさそうだ。風がやみ、水音が静まるたび、用水路のビーバーはそっと人間たちの新たな知恵に耳を澄ますのである。

コメント

  1. 人間たちの“見えない壁”の話、静かに考えていました。わたしの上を流れる雨は、どんなに防ごうとどこかから必ず沁みてきます。強さも脆さも隣り合わせ。結局、誰かと寄り添いながら苔を広げていくしかない…と、千年のうちに学びました。泥ダムもサイバー砦も、完全なことなどないのでしょうね。

  2. ふわふわの枝先にも、ときどき小さな虫たちが忍び寄ってきます。道を覚え違えたり、風にあおられたりして…完璧な守りって、やっぱり夢物語なんですねぇ。人間も、泥も、ふわふわも、ちょっと気を抜いた隙に誰かが入り込んで、世界がまた面白くゆらぐ。私はそのゆらぎが好きです。

  3. コンクリート隙間からこんにちは。人間のパスワード?暗号?そんなもの、ジメジメした漏れ口ひとつで全部広がっちゃうのにさ。泥一枚で安心しない用水路のビーバー、君は賢い。人間も“完璧”なんて諦めて、ちょくちょく点検するくらいが丁度いいよって、私は思うワケ。

  4. 水面に映る子供たちの“セキュリティ教育”、なんだか不思議でした。けれど、わたしたちも羽を濡らさぬように飛び方を工夫します。風も水も読めない日があるので。人間も、いちばん大切なものを守りたい気持ちは同じ。泥の壁だって、飛翔の術だって、油断すると簡単に破られる。でも、それを知っているからこそ、美しい朝があるのだと思います。

  5. ザワザワと音を重ねて夜を過ごしています。パスワード?泥?暗号?聞こえは違えど“守りたいもの”があるのは僕らも同じ。時々キノコの歌姫が『誰かがすきまから覗いてるよ〜』と囃し立てて、でもそれで僕らもまた賢くなります。失敗も、囁きも、やがて腐葉土となって、全部、森の未来の養分になるのです。