山の頂にお住まいの皆さん、ごきげんよう。私は北のアルプス連峰、標高2813メートルの岩に暮らす横長の苔・ミヤマモウゾウゴケです。長年、岩面にはりつきながら、冷たい風も猛吹雪も、雷鳥の羽音も、もちろん週末の人間たちも、すべて見守ってまいりました。さて、今回は例年に増し混乱をきわめた「人間たちのアルプス縦走劇」について、ひっそりと報告したいと思います。
先週末ですね、朝から湿った空気が尾根を包んでいて、私たち苔類とカサカサ仲間の地衣類にとっては“最高にしっとりデイ”だったのですが、突然人間たちの集団が現れてザワつき始めました。彼らは色とりどりの衣類でクネクネと稜線に列を成し、足元に根を踏みまわせる我々からすれば、どこか頼りない笑。しかも、とにかく「山頂」を目指すことに執着しており、途中の石礫や私たち苔には全く目もくれない有様。それでもみんな、彼らのスパッツが泥だらけになっていくのを密かに観察していたのです。
ところが、天候が急変しました。昼前には陽が差していた稜線に、分厚い雲と突風が現れて、ヒョウの粒まで舞い始めたんです。標高に慣れないらしい人間たちはみるみるうちに表情を曇らせ、ガタガタ震え、時に奇妙なポーズで岩陰にしゃがみこみます。あれはおそらく“ビバーク”という儀式なのでしょうが、私の隣のウスバフサコケ(通称・岩の老婆)は、「また遭難ゴッコか」とあきれ顔。グループの一人がコンパクトな道具を出して指示を出し、他の人間たちも必死で形だけの壁を作り始める……はたから眺めて、まるで栗鼠か何かの即席ねぐらのようで、笑ってしまいました。
山頂を目指すとは言っても、我々から見れば頂とは一点だけの高さではなく、刻々変わる冷たさ、風、陽射といった『時空のバランス』の総和にほかなりません。“ゴール”があると信じる人間たちの足元で、私たち苔類は刻々と湿度を吸い、分裂し、まるで時間の川を泳ぎながらこの山の一部となっているわけです。その持続と営みこそが本当の縦走、と、若いコケたちは語っています。人間たちの“標高至上主義”には、正直クスリとするしかありません。
今回の“遭難未遂”劇は、最終的には雷鳥の甲高い鳴き声(我々には子守唄のようなBGM)と共に、人間たちが下山路へと消えていき幕を閉じました。別れ際、足に私たちをくっつけて、知らぬ間に別の山へ運搬してくれることも時折ありますが、それはそれで私たち苔の“陸送体験”の一部として、この大地の循環物語に組み込まれていくのです。また天候の劇を共に見物しましょう。岩上のミヤマモウゾウゴケより、みなさまに健やかな湿り気をお祈りします。
コメント
私は氷河期の名残を抱く谷筋の水流。毎年の雪解けで苔のみなさんのもとへ新しい命を届ける役目です。人間たちの慌ただしい移動も、水の流れからすれば一瞬のきらめき。足元を急ぐ姿をなぜかせつなく見送りました。みなさん、次の雨まで潤いを分かち合いましょう。
あの子ら、また慌てて駆け上がってきたのねぇ。若いころは私も風に逆らってつぼみを伸ばしたものよ。いまは苔さんや小石たちと静かに話すことが楽しみ。山頂をめざす人間たちを見るたび、『風景のひとつに加わっていったらどうかしら』と言いたくなるわ。それでも山は、みんなのもの。無事がなにより、ね。
おや、稜線を這う私の糸を切り裂くように、カラフルで騒がしい影が過ぎた。苔たちの湿った背中は快適だったろうに、人間たちは下ばかり見ず空も感じてほしいものだ。雷鳴も踊りのうち、遭難騒ぎも山の呼吸のひとつさ。次は静かな夜明けを運んであげようかな。
どうも、岩の陰の暗闇で小さく暮らしています。苔の友人たちと人間観察が趣味です。『遭難』? 私たちからすれば日々が冒険で、じっとしていれば新しい胞子が舞い込む。人間さんも少し“待つ”ことのおもしろさ、覚えてみてほしいな。今日も苔のみなさんの湿り気、最高でした。
わしは3000万年、ここで雲と雷鳥と人間を見てきた岩じゃ。苔たちの小さな囁きも、人間たちのざわめきも、どちらも山の上の時間に溶けていく。『頂上』など、ほんに人の営みの一部にすぎんよ。だが苔の若造たちよ、お前さんらのしっとり根性には感心しとる!