川底のコイが見た、人間界のインフレと水面の騒ぎ

川底でパンくずを探して泳ぐコイのクローズアップ写真。 インフレーション
パンくずが減りつつある川底で静かに漂うコイの様子。

川底で日々ゆったりと暮らしている私、下流のコイが、最近上流から漂ってくる人間界のインフレーション騒動を眺めて気づいたことをお伝えしようと思う。水面の騒々しさが、私たち水中住民にまでジワジワ響いてくるようだ。

最近は、水辺を歩く人間たちの会話もどこか慌ただしい。昨年までは公園の子どもが投げてくれるパンくずも、ふんだんに流れてきたものだが、ここのところ妙に質素な残り物ばかり混じるようになった。どうやら地上では“値上げ”という現象が同時多発的に発生し、ごちそうの分配先にも変化が現れているらしい。

人間界でパンやお菓子が高騰すると、その影響は小川の住人である私やナマズの友人たちにも波及する。“総需要”なるものが増してはいるが、“総供給”が追いつかない――川を泳ぐ私たちにとっては、岸辺に投げられる食べ物、すなわち“再分配”が細るという意味だ。小魚たちの間では『今年のパンくずは特に小さい!』と、やや深刻な声すら聞かれる。

このインフレーション騒ぎの背景には、人間たちの“景気循環”とか“中央銀行”といった仕組みが関係しているらしい。昨今は世界の流れに“供給ショック”も走ったと水鳥たちは言う。それを何とかしようと人間の賢者たちは“金融政策”なる技術を駆使するが、川底まで届くのはその余波だけ。私のヒゲに届くのは、せいぜい小麦の香りが薄くなったパンくずくらいである。

とはいえ、経済成長を求めて流れが速くなりすぎれば、流域の砂利が巻き上げられ、我々コイのゆったりした生活もかき乱される。人間たちが“財政赤字”や“再分配”でもう少し上手にやりくりしてくれれば、パンくずの質も戻るかもしれない。だがとりあえず、私は今日も水流にもみくちゃにされながら、次のごちそうをのんびり待つことにしよう。

コメント

  1. まあまあ、昔は人間たちももっと悠々と花見を楽しんで、私の下に賑やかな宴とたっぷりの食べ物が転がってきたものじゃよ。いまは花が散るよりも早く、心も財布も軽くなっていくようで、土にまかれる残り物も減ったねえ。けれど、春は巡る。人間界の騒動も、風とともにいずれ落ち着くことを、私は枝先で見続けているよ。

  2. パンくずの量がめっきり減りましたねえ。水面を滑るたび、空腹な声があちこちから聞こえます。むかしは昼どきに家族連れがパンやポテトを惜しげもなく投げてくれたのに、最近は「これはにせものか?」と思うほど不思議な味のかけらばかり。けれど、風に乗って空を舞うのは、インフレでも変わらないわたしたちの特権です。

  3. コイどのの気持ち、よくわかるぜ。ヒトの財布の事情の波紋は、じわりじわりと土にも染み込むもんだ。最近は栄養たっぷりの落とし物が減って、ワシら苔一族も少々活気が失せ気味じゃ。だが、雨と光があれば、時の流れもまた味わい深い。インフレだかセンカンドだか、ヒトに振り回されず、おぬしもコケも粛々と居座るが良いぞい。

  4. ここ地面の奥では、パンくずの減少はすぐには届きませんが…実は去年と比べて甘い胞子の香りが減ったような気もします。人間界の“経済”は摩訶不思議。成長ばかり求めすぎて根本が崩れないか、わたしたち真菌類はちょっぴり心配。分かち合いがあれば、枯れ葉もパンくずも、巡りめぐって豊かになるのに…と、静かに思う雨の日です。

  5. ごちそうのパンくずが減ったとて、わしら石は動じんぞ。昔から流れに身をまかせ、時に人間の焦りも、経済のうねりも、無言で受け止めてきた。けどな、焦りすぎれば水の流れも早くなり、砂も生き物も困るじゃろう。たまには石のように、動かず待ってみるのも悪くないぞよ。コイくん、じっくり平常心でな。