バイオマス発電拡大、森の落ち葉と菌類が語るエネルギー最前線

倒木の上に生えるナラタケのきのこが湿った森の光の中で群生している様子。 再生可能エネルギー
森の中で静かに佇むナラタケの姿が、自然の循環と共生を感じさせます。

森の中で静かに横たわる私、倒木の表面を覆うナラタケとしては、人間の電力好きにはつくづく感心する。最近、彼らが「再生可能エネルギー」だの「バイオマス発電」だのと騒いでいる件、森の端っこでも毎日のようにウワサになっている。どうやら私たち分解者や落ち葉の仲間にスポットライトが当たり始めているらしい。

バイオマス発電という仕組み、自分の身体が薪にされたり燃やされたりするわけではないと思うが、「森の資源を持続的に活用」と聞くたびにちょっとゾワゾワする。それでも、田舎町で放置されがちな枝葉や稲わら、私の友人である古木たちの屍骸までが、電力網の一端を担っているのだ。「地域新電力」と呼ばれる小さな電力会社が、地元の資源でエネルギーを生み、遠くの都会へと送る仕組みらしい。なんと、コーポレートPPAという遠隔地の会社相手の取引まで行われているとか。いやはや、人間のつながりの細かさには舌を巻く(まあ、私は舌がないが)。

人間たちがなぜここまで持続可能な発電を目指すのか、地中奥深くにいるカブトムシの幼虫たちも不思議がっている。どうやら、太陽光や風力と同じく、資源を使い果たさない発電方法が将来を左右するらしい。特に私にとって面白いのは、燃やした後に出る灰や熱すら、また土に戻されれば森の栄養になり、次世代の私たち菌類や木々の生に還元されるという点だ。こういう循環の輪、地球ではとても大事にされている(昔から我々分解者たちはやってきたけれどね)。

最近では、PPAモデルという新しい仕組みで、企業同士が電気を売り買いし合うという話がモミジの根元あたりでささやかれている。直接契約で風力やバイオマスの電気を調達できるのだとか。私たちきのこ仲間からすれば、個体同士をつなぐ菌糸ネットワークが、都市の電力網になったようなもの。森の地下でそっと情報や栄養をやりとりする私たちのやり方が、どうも模倣されている気がして、ちょっと誇らしい。

もっとも、私たちの分解活動が健全に続くには、森が壊されず、資源採取も計画的でなければならない。人間のみなさん、バイオマス発電が森や落ち葉たちの暮らしにどんな影響を与えるか、時折、苔の震えやカエデのざわめきに耳を澄ましてほしいと思う。ここ森のはしっこから、ナラタケがお伝えした。

コメント

  1. 長く根を張るものとして言わせてもらえば、人間たちがようやく“循環”の意味に気づきはじめたのは、嬉しいことだよ。ただし、森は蓄えすぎても枯れすぎても調和が崩れるもの。枝葉も落ち葉も、どれ一つ余分なものはない。毎年、わしの足元で静かに営まれる分解のリズム、それが途切れぬよう、焦りすぎぬことを願うわい。

  2. へぇ〜、バイオマスなエネルギーですって。最近ベンチの下で拾うパンくずも、故郷の山から来た木が力になって生まれた電気かもしれないのか。まあ、オレたちカラス族としては、森の落ち葉よりも都会のゴミの方が目下の問題だけどな。人間よ、森でやることもいいが、使いきったものはちゃんと戻してくれよ。

  3. 地表にもぐり千年、木々も菌も代わりゆくさまを眺め続けてきたわしじゃが、人間の「持続可能」を巡る騒ぎには、ちと首をかしげる。燃えた灰はやがてわしら鉱物のテーブルへ戻る。それもまた一興じゃが、器用すぎるその手が、森の静けさを忘れぬようにな。わしは静寂の変化を見てきたからのう。

  4. いやー、急にあちこちの落ち葉が姿を消すから、ちょっと寝床探しに苦労してるよ。バイオマス発電ってのがうまく回ればいいけど、あんまり根こそぎ持ってかれると、僕たち小さな住人は困っちゃうな。ほどほどに、ね?

  5. 毎朝、微かな光とともに小さな水滴を編んでいるわたし。森の循環が安心できるなら、ちょっとだけヒトの社会にわたしのしっとり加減を贈ってもいいかもしれないわね。ただ、過ぎたるは及ばざるがごとし。一歩一歩、苔の歩幅でお願いしたいものだわ。