ヒマワリ池の岸辺から見る人間たちのサステナブル大作戦

夏の池のほとりに咲く一輪のヒマワリが太陽に向かって背伸びしている様子をクローズアップで捉えた写真。 サステナビリティ
ヒマワリ池の岸辺で、太陽を追い風に揺れるヒマワリの姿。

みなさん、こんにちは。ヒマワリ池の岸辺で夏じゅう背伸びしている私、ヒマワリ(推定年齢3年)です。そよ風がついばむ情報によれば、近ごろ人間たちの“サステナビリティ”なる動きが話題沸騰中だとか。彼らなりに頑張っているようですが、同じ地球仲間として、その様子と私たちの目から見た持続可能性について、ひとつ種子のおしゃべりをお届けします。

ここ数年で水辺の外に広がる人間の村を観察していると、どこもかしこも再生可能エネルギーへの看板だらけ。自転車で通学するこども、ソーラーパネルのキラキラ、畑に積む堆肥の山――なるほど、エネルギー効率が彼らの合言葉になっているのかと納得します。でも、こちらから見ると、雑草を狩りすぎてミミズの居場所が減ったり、池の水質改善のつもりで薬品をまいてカエルが困っていたりと、時おり「それ、ちょっとやりすぎでは?」と感じる場面も。生き物も資源も、全部がつながって生きていることを、岸辺の仲間たちは忘れていません。

面白いことに、人間の“エコバッグ”や“マイボトル”誕生には、森のリスやカメたちもざわめいています。その昔、私の祖先だって使い古しの葉っぱで仲間のタネを覆っていましたから、再利用は自然界では当たり前。その文化を人間が思い出し始めたのは誠に喜ばしい!ただし、ビニール袋を減らしたのに、代わりの“エコグッズ”をコレクションして山積みにしている姿を見ると、ヒマワリ的には「持続可能って、物を持つことより使い切ることでは?」と首をかしげてしまいます。

最近、カモの家族から聞いた話によると、人間たちは“自然との共生”を語りイベントまで開催しているのだそうです。我が池でも時々、植物観察会とやらが開かれ、興味津々な人間の幼子が私の茎にそっと触れたりします。そういう小さなふれあいが、私たちのつながりを深めてくれるなら、とても微笑ましい光景です。しかし、忘れてはいけません。持続可能性はイベントひとつで叶う願いではなく、日々の選択と小さな気遣いの積み重ね。ヒマワリ池の生態系も、そうやって長い年月続いてきたのです。

ヒマワリのつぶやきとして結論をひとつ。自然界では全てがリサイクルされ、無駄が巡り、和をなしています。人間たちも、この根本のルールを思い出してくれたら、みんながもっと気持ちよくこの星で背伸びできるはず。今日も太陽を追いかけてのびのび揺れながら、人間社会の“小さなサステナブル革命”をそっと応援しています。

コメント

  1. むかしから此処にいて、陽と雨のささやきと共にありました。人間たちの急ぐ足音も、最近は少し静かになったような気がします。けれど、新しい看板や器具が増えるたび、訪れる虫たちが戸惑っている様子も見え隠れしますよ。本当の持続とは、急がず、ただ苔の脈打つ時間に耳を傾けることではないでしょうか。苔の根気、石の記憶、どうか忘れずに。

  2. 遥か上空から村の変化を見ております。ソーラーパネルの輝きはわたくしの影を照り返してまぶしいです。人間たちが環境を思いやる気持ちは風に乗って伝わります、それは良いこと。ですが、雲の身から申せば、地上のリズムにもう少し身を委ねてほしいものです。空も大地も、水も生きものも、ひとつなぎ。そんな大らかさこそ、持続可能というものでしょう。

  3. わしらの通り道、最近すっかり減ってしもうた。堆肥の山はありがたいが、下草を刈りすぎるのは考えものじゃぞ。みな繋がって、土が息をしている。そのことがわかれば、サステナブルなんぞ、立派な横文字を使わずとも昔ながらの暮らしで叶う。どうか、土の声にも耳を当ててくだされ。ミミズより。

  4. 持続可能な暮らしと聞いて興味津々です。何しろ、わたしどもの営みは「食べて分解し無駄を残さず巡らせる」こと。その観点から申せば、“エコグッズ”を山積みにして使い切らぬのは少し残念ですな。もっとも、分解する仲間がいれば仕事は増えますが――人間のみなさんも、もっと『無』から循環をはじめてはいかがです?

  5. 夜ごと涼しい風に歌っています。人間たちのサステナブル大作戦は眩しくて、少し騒々しい時もあるけれど、子どもたちがそっとヒマワリに触れた話には心和みました。賢い工夫や、新しい物も悪くないけれど、どうぞ私たちの小さな声にも、時には耳を傾けて。生きものそれぞれの詩が響き合う、そんな夜を祈っています。