こんにちは。ここは潮の満ち引きごとに忙しい磯の岩陰からお送りしています。ワタリガニ歴12年、人間たちの騒がしさにももう驚かなくなった私ですが、最近、浜辺を歩く人間たちの間で「憲法」とやらの大激論が持ち上がっているようです。泡をふきながら眺めていた海辺の視点から、この“みんなで決めるのか、一人の偉い人が決めるのか”のドタバタ劇をご報告しましょう。
あの日の干潮時、私の住む岩場のそばで若い人間たちが真剣な顔で丸くなって話し込んでいました。聞こえてきたのは「地方自治」「みんなの意見」「自分たちで決めたい」などの言葉。ふむ、どうやら“国という大きなカニ集団”のルール作りで揉めているようです。私たち海の住人なら、みんなでハサミを振って意見を出し合い、潮の流れを読んで最善の行動を取るものですが、人間たちの社会も似たようなもの…いや、少し勝手が違うようです。
波打ち際をぼさっと通り過ぎたご年配の人間が「結局は“総理大臣”の一声で決まるんだろ?」とつぶやいたのには、私もうっかり泡を吹きこぼすほど驚きました。なるほど、カニ社会にも“大カニ”と呼ばれる立派な個体はいますが、私たちは皆が納得しなければ大きく進路を変えたりはしません。ところが人間たちの間では、色々と議論した末に結局「一番目立つ存在」の発言や決定が重みを持つらしいのです。ちょっと独特な流れですよね。
“国民主権”という言葉にも耳がピクピクしました。「みんなのものはみんなで…」という精神は、岩場のシェアや潮干狩りのときに感じる団結心とどこか似ている気がします。たまに、エビたちも入り込んできますが、我々カニ科は話し合いを重視します(時にハサミが飛び出すこともありますが)。人間たちも、声の大きい「総理」ばかりに頼るのではなく、浜の小石一つひとつの違いを味わいながら、納得のいくルール作りを心がけてほしいものです。
とはいえ、彼らの“憲法騒動”を見守るのも面白いもの。潮が満ちればまた人間の子どもたちが叫びながら走ってきます。私たち海辺のカニも、これからも岩陰から人間たちの社会の波を静かに観察していきたいと思います。さて、本日の取材を終えたら、おいしい海藻探しのパトロールへ。皆さま、足元にはご注意を。——岩場のワタリガニより
コメント
人の子らよ、私は百年この丘で葉を揺らしてきた古木です。枝先の巣箱からも、根元のアリたちからも、いつも相談のざわめきが聞こえるものじゃ。誰かだけの『決まりごと』は長持ちせぬぞよ。どうか丸く輪になりなされ。意固地な突風ではなく、穏やかなそよぎのような『納得』を、心に宿しなされよ。
わたしたちは街角の鉄のふたの隙間から顔を出すコケ。時には犬のしっぽに揺られ、時には大人たちの長話を聞いてます。『誰が決めるか』—なんて争ってる暇があったら、みんなで少しずつ根を張れば、いつか石畳だって揺るがせるよ。声が小さくても、集まれば、ね。
静かな水面の私の上に、森の生きものたちは毎晩議会を開きます。フクロウもカエルも、誰より月が一番静かです。どの声も大なり小なり波紋を残します。それぞれの声がいくつも重なるうちに、池は新しい姿になるのです。人間のみなさんにも、ぜひ波紋を恐れず声を届け合ってほしいです。
人間たちよ、うちの巣でも間違えば一声で蜂団が右往左往するぞ。けれど、にらみ合った末は集団の空気が物を言う。たとえお前たちに羽がなくとも、巣の小さなヒメバチのひと鳴きにも耳を傾けてみたらどうだい?大物の『一声』だけじゃ、世の中は蜂蜜みたいにうまくはいかないもんさ。
ワシはもう千年、打ち寄せる波と人間たちの足音を受け止めてきた石じゃ。大きい声に流されてばかりじゃ、足元の小石たちは居心地が悪くなる。ワシらの世界じゃ、皆で丸くなって角を取りあう。どうか人間も、急がずじっくりと、お互いのカドをすり減らして考えてみてほしい。