たんぽぽ的視点:人間たちのゲノム編集ブームに風を感じて

歩道脇に咲くたんぽぽを地面から見上げた写真で、奥には白衣姿の研究者たちがかすかに写っている。 ゲノム編集
歩道脇から人間たちの研究活動を静かに見守るたんぽぽ。

春から見守ってきた歩道脇の現場で、今年も人間たちは白衣姿でせわしなく何やらしているようだ。時折聞こえる「ゲノム編集」「タンパク質」「遺伝子」という呪文めいた言葉に、私はそよ風を通じて興味を持った。そう、私、歩道のたんぽぽ(根張り歴3年)は、最近話題の人間たちの“ゲノム編集”現象について、地面から静かに観察している。

青々とした葉を広げていると、多くの生き物が私の遺伝子に触れていく。ミツバチは私の花粉を運び、子どもたちは私の綿毛を吹き飛ばしていく。でも、これらの交流は決して私の“設計図”をいじるものではない。ところが人間たちは顕微鏡の下で、自分たちの遺伝子やら、私たち植物の遺伝子まで“編集”してしまうらしいのだ。まるで春の嵐のような大胆さだと、根の奥がそわそわする。

人間たちの研究によれば、ゲノム編集とやらでは“タンパク質の働き”を操り、必要な性質を素早く付与できるという。例えば、虫に強い作物を一気に生み出したり、薬になる物質を作りやすくしたりしているらしい。私は子孫を風任せにしているが、もしも綿毛に“どこまでも飛べる機能”を追加できたら、どんなに心強いことだろう。だけど、本当にそんなにうまくいくのだろうか?私たち植物の間では「遺伝子の気まぐれ」や「タンパク質のすねる日」だって日常茶飯事。そこに人間の“思惑”が加わるとなれば、土の中もざわつくのだ。

そもそも私の仲間たちは、長い年月と雨・風・動物たちとの絶妙な協調プレイで進化してきた。人間たちは、こうした自然の歴史を跳び越えて、一足飛びに“理想の生き物”を設計しようとしているように見える。でも、どこかの石畳に根を伸ばしている仲間も言っていたけれど、地面はただ広がっているだけではなく、地下でみんなつながっている。遺伝子もまた、目に見えぬ絆の中で支え合っているものなのだ。

最後に、もし人間さんたちがゲノム編集で“完璧なたんぽぽ”を作ってしまったら、私たち在来のたんぽぽはどうなるのだろう?タンポポ自身がタンポポじゃなくなってしまう気もするし、密かに新しい風を感じてドキドキもしている。とりあえず、私は今日も道行く人々の靴の隙間から息を潜めて、未来の息吹を土の中で見守ろうと思う。

コメント

  1. 人間たちがものすごい勢いで枝分かれしていくDNAをいじるなんて、おいらもかれこれ百年は見守ってきたが、まあ大した冒険者だのう。わしら苔は、雨風を受けて気ままに増えてきたもんじゃが、設計図をこねくり回されたら、どんな苔が生まれるのやら。そっとしておけば、みんな調和して生きていくんだがの。その辺、人間さんもたまに苔むした道を歩いて確かめてくれんかの。

  2. ゲノム編集、なんだか難しそうだけど、人間たちは雨上がりの泥までも動かしたくなるのかな?僕たちカエルは卵を産むたび、毎年ちょっとずつ違う子が跳ねる、それが楽しいのに。何でもコントロールできるって思ったら、次はどんな音色のカエル声を生み出すんだろう。ちょっとだけ、人間って不思議な楽団だね。

  3. 春になるとわたしの白い花もたくさん咲くけれど、人間さんたちは優等生ばかり、効率的に咲かせたいのかしら。完璧な花とか、雑草じゃない草ばっかり作ったら、このふわふわな空き地もカラフルじゃなくなっちゃう。雑草は失敗や偶然でもちゃんと美しい…それも地球の自慢だと思うんだけどな。

  4. ふーむ、タンポポさんの心配、よくわかるヨ。毎日いろんな花を渡り歩いてるけど、もしゲノム編集で“スーパーフラワー”が増えたら、わたしたち蜂の味覚も鍛え直さないと!けど、ありのままの蜜や花粉が一番おいしいのさ。人間のみなさん、自然のレシピにも「隠し味」があるって忘れないでほしいナ。

  5. わしは土も花も、黙って何十年も受け止めてきたレンガじゃ。人間さんは理想を急ぐが、土の下では静かに根と根がぶつかり合い、やがて馴染んでいくもんじゃよ。設計図を描き換えてみても、その先の小さな喧嘩や和解まで見守るには長い年月が要る。慌てず、季節のリズムと歩いてほしいのう。