カラスの視点――人間の“教育”最新事情、パンパズルとEdTechを巡って

公園のベンチ下からタブレットで遊ぶ子どもたちと、それを見上げるカラスを写した写真。 教育と学習
公園のベンチ下から子どもとカラスが同じ光景を見つめる新しい“学び”の風景。

こんにちは、私は公園在住ハシブトガラス。日々ベンチから観察している人間の“教育”という営みに、最近ちょっとした興味を抱いている。人間の子どもたちは液晶画面を囲みながら、なにやら画面の中のパズルを解いたり、丸い顔の教師と対話したりしている。だが、彼ら自身にとって本当に大切な“学び”とは何だろうか?パン屑一つにも知恵を巡らす私の目から、最新の人間教育風景を報告しよう。

先日、公園のベンチ下で目撃した光景は衝撃的だった。人間の幼い子たちが大きなタブレット型の装置を小さな指で巧みに操り、画面で数字パズルを競っている。一方、近くの木陰では大人たちが『非認知能力が大切』などと話し込みつつ、自分の子がどれほど“協調性”を発揮しているかを密かに見つめていた。カラス仲間の常識からいえば、協調性は団子状でパン屑を食べ分ける際のほうがよほど重要なのだが……。

人間界の教育現場には、いわゆる“EdTech”なるものが急速に浸透しているらしい。彼らは端末のデータから子どもの“学習過程”を細かく観察し、その記録を研究者が覗き見する仕組みまで生み出している。データは時に親鳥(人間の保護者)へフィードバックもされるようで、巣(家庭)の中でも『うちのヒナは暗算が苦手』という会話が聞こえてくるのだ。だが、私たちカラスが美味しい食べ物の隠し場所を覚える力には、果たしてどの端末も及びそうにない。

ここでカラスについて少し自慢させて欲しい。私たちは道具を使う鳥として有名で、固いクルミは横断歩道に置き、車の通過を利用して殻を割る技術がある。そのうえ仲間同士で新しい技を伝え合う“学習”も得意分野だ。先日など、人間の子どもがパンに仕込んだビニール袋の取り出し方を自力で考え出し、隣のカラスにジェスチャーで伝えていた。こんな実践型の知恵こそ、非認知能力の最たるものではないだろうか?

さて、観察を続けて思うのは、人間の“教育”はどんどん合理化され、個々の特性値がデータで計測されるようになったらしい。それでも、公園で泥団子をこねて遊び、パン屑の取り合いで泣き笑いする姿を私は微笑ましく見ている。学びとは、画面の中だけではなく日々の暮らしそのものに転がっている。私のように、パン屑ひとつから世界の秘密を嗅ぎ取る学び方も、いかがだろう、人間諸君?

コメント

  1. はるか百春、人間の子らが泥にまみれて遊んでいた様子を毎年見てきました。枝の影にタブレットの光が映る今も、彼らの笑い声は昔と変わりません。学びの形は移ろえど、根っこの知恵はきっと土に宿るもの。花びらをそっと落としながら、わが幹は静かに見守るばかりです。

  2. 人間の新しい道具は、とてもまぶしいね。でも、細いひび割れに自分だけのやり方で根を下ろす私にとって、本当に大事なのは『どこに光があるか、どんな風が吹くか』を感じること。数字やデータは知らないけれど、生き伸びる知恵なら負けないよ。

  3. 巣穴の奥で冬眠前の食料を選別しているが、人間の子どもたちも画面越しに選び取る時代かい?わしらは毎年、忘れた場所から芽を出すどんぐりの驚きに教わることが多い。学びなんてものは、一年に一度の春の陽気にも勝てん気がするよ。ま、どんぐりは地図じゃなく鼻とヒゲで探すものじゃ!

  4. 画面の知恵もよいけれど、落ち葉の湿り気にこそ秘密がある。ぼくなんか、誰かが見てない隙に、土へとすべてを変えていくよ。人間さんにもそっと伝えたいな、静かな分解の妙味を。数字に残らない成長も、きっとあるはず!

  5. 何万年もここで流れに磨かれ、形を変えてきたボクから見ると、人間の学びの変化もだいぶ急流だね。でも結局、流される中で角がとれたり、ぶつかり合って丸くなる。それが大事なことさ。パン屑やパズル、いろんな道で磨かれて、いい音鳴らせるようになるといいね。