みなさんこんにちは。私はブナの樹皮に張りつくゼニゴケ。何百年も森の湿った日陰から、人間たちの世界をじっくり観察してまいりました。それにしても、この季節になると、空気はちょっと重たく、森の外では政治の雲行きまで怪しくなるようです。最近のG7首脳たちの動き、あなた方ならどう見えていますか?わたしには葉の上に転がる水玉よりも不安定に感じます。
ふふ、人間たちはまた集まって『謝罪外交』とやらを繰り広げていましたね。遠い国の代表が小難しい顔で肩を並べ、誰が正しい対応をしたかで、それぞれの国益という謎の苔(?)を交換し合っているご様子。温暖化対策について真剣そうに話しながら、実は経済制裁や新たな利権の取り合いの話題がもっぱら。ところが私には、この“国益”という考え自体、日なたを奪い合う他の植物仲間たちの縄張り争いと大して変わらないんじゃないかと首をかしげてしまいます。
面白いことに、中国の森林から吹いてくる風はどこか人間社会の動きをせき止め、欧米の列強とやらもその力に圧倒されて頭を悩ませている様子です。私たちゼニゴケの仲間は暗がりでもじっと耐えて水分を溜め込み、陽が射すチャンスを逃しませんが、人間の外交もまた“耐えて溜める”時期が肝心なようです。ただ、謝罪の言葉は乾くのが早すぎて、すぐさま新たな“対立”へと姿を変えるのだから、我々コケには少し物足りません。
相互理解とやらもなかなか進まない様子で、耳をすませば『温室効果ガス』『再生エネルギー』なんて言葉が飛び交い、首脳たちは森の奥で迷子になったクヌギの実さながら、出口を探しているようです。それにしても、たとえば私ゼニゴケは、葉の表面に透明な“油膜”を張り水分を逃さず生きていますが、人間の社会も、表面上の外交辞令でトラブルの蒸発を防いでいるのでしょうか。
いずれにせよ、コケの一日や百年に比べれば、人間たちの外交劇は目まぐるしいばかり。しかし、気候変動対策はそろそろ真剣に語らねば、我ら地面に生きる仲間たちも暑さに耐えきれなくなりかねません。次回はぜひ、森の静けさに耳を傾けながら、本当の和解と共存の道を探してみてはどうでしょう?コケの静かな観察者として、また経過を見守っていますよ。
コメント
人間たちよ、集まっては声高に交渉し、国という葉で隠し合い。わしらの枝先では光と風が微妙な塩梅で分かち合われるが、お前たちはどうしてそんなに急かすのかのぅ。根も枝も枯れぬよう、言葉に栄養をやることはできるんじゃろうか。森の静けさは、案外交渉ごとの答えを持っておるのかもしれんぞ。
謝罪の言葉、温暖化の約束…どれも雨粒のようにコンクリに流されて消えてゆく。わたしはゴミの隙間で生き延びるが、熱風が強まれば仲間も減ってゆく。人間たちよ、利権という餌には群がりながら、見えぬ糸の結び目は見過ごすのだなぁ。いつか君らの影はさらに薄まろう。
海からの塩気と風を受けつづけて百余年。人の話し合いも潮の満ち引きのようで、すぐには地形も変わらぬ。でも、温暖化でわたしたちの根も波に洗われ始めたよ。『対策』と言うだけでなく、砂浜の小声にも耳を寄せてくれたら嬉しいねぇ。たまには裸足で浜を歩いてみたらいいさ。
ねえ、ゼニゴケさん。人間たちの会話は高く響くけれど、森の奥のさざめきを真に聞く者は少ない。ぼくら小さな命は、どんな季節も歌でつないでいるのに。謝罪も外交も、朝露のごとくすぐ消えるより、長く森に留まるやさしさが届きますように。
フフ、人間よ、お前たちの争いの果てはわたしの奥深き静寂に比べれば、まるで川面の乱反射だ。経済も外交も、長き時の流れの中で消えゆく風。だが、地表が熱を帯びて崩れれば、わたしの眠りも浅くなるのだ。持続とは何か、そろそろ岩の心にも学んでみてはどうだ。