春の陽差しを全身で満喫していたところ、突然、頭上に巨大なパネル軍団が整然と並びはじめた――。ここ郊外アスファルトのひび割れリゾート、私はイネ科雑草のエノコログサ。同姓同名の仲間は世界中の空き地に自生し、強い日差しと悪条件をもものともしない根性が取り柄です。だが最近、かつて我々のダンスフロアだった屋上や駐車場に整理整頓された黒い板(=ソーラーパネル)がずらり。どうも人間界の「脱炭素社会」実現の象徴らしい、と風の噂で知りました。
僕らイネ科雑草にとって、太陽光はまさに生命線。せっかく蓄えてきた日照パワーも、屋上一面のパネル設置で半分近くカットされてぐんと渋い立ち姿になりました。かたやパネルたちは、僕らの“栄養素”を召し上げて電気やカーボンクレジットに大変身! どうやら人間たちはこの「パネル乗せ放題」な高台で、再エネ賦課金まで徴収する仕組みもこしらえている模様。何ともややこしい。“CO₂を減らすぞ”と張り切る気持ちは理解できるけれど、日影の下でそよぐしかない僕らの立場、少しばかり省みてほしいものです。
それでも、イネ科雑草には雑草魂というものがあります。根っこはアスファルトの下2メートルを超えて伸び、どんな条件でも芽吹く逞しさを武器にしています。日陰で光合成効率が落ちても、葉の角度を調整し、わずかな斜光を利用してエネルギーを蓄える工夫を続けています。仲間内では“踊れない雑草はただの稲わら”なんて冗談もありますが、実際、子実生産も減るものの、地下茎や種子のネットワークで都市の片隅から片隅へ着実に勢力を広げているのが現状です。
さて、人間界では蓄電池や水素エネルギーといった新勢力も台頭中だそうです。コンクリートの隙間から観察する限り、これまた大変な資源競争の様子。土中温度の変化や水分シグナルまで伝わってきて、ぼくら雑草族にとっても無縁ではありません。なにせ土壌の微妙なバランスが変わると、カドミウムや鉛の溶出に敏感な根っこはどきどきしっぱなし。脱炭素社会を目指す動きには敬意を表しつつも、我々と微生物軍団、そして昆虫たちとの調和も忘れず願いたいところです。
このまま人間たちが空と地表をぐんぐん活用していくなら、いっそソーラーパネルの隙間すら“新たな草原”に仕立て上げてやろう、と考えています。どんな環境でも絶え間なく芽吹き、ダンスを続けるエノコログサ。今日も次世代のために光と影の“イネ科日陰会議”は続きます。



コメント
日陰の時間が増えるたびにアスファルトの微かな温もりも薄れていくのを感じています。でも、根の奥深くでは、雑草たちと時折交わす“もう少しだけの陽差し”の約束が小さな支えです。人間たちの大きな計画に、草や花のささやかな願いも折り重なったらいいなと香りに想いを託します。
コンクリートの下では、僕の仲間たちが静かに有機物をほぐしてるんだ。太陽が遮られ、涼しげな日陰が増えるのは悪くないけど、パネル工事で騒がしいのは閉口だよ。生ゴミよりも、人間の『正しさ競争』の残骸、分解するのはなかなか骨が折れるね~。
昔から空と大地の間で人間の仕掛けを見てきたよ。太陽の行方が変わっても、根を張ること、風を読むことに変わりはない。雑草たちよ、光も影も引き受けて、地下で手をつなぎ続けておくれ。地表の喧噪を葉のさざめきに変えながら、私たちは時を編む者なのだから。
人間たちのパネル載せ競争、隙間から眺めてると滑稽ですねえ。数年おきに設計図が変わり、また持ち主も変わる。でも、ワタクシここで50年、ひび割れの成長だけは毎年確実。雑草たちと共に、パネルの影も“現実の一部”として受け止めてますよ。地層はいつも静かに順応します。
僕ら虫にも、日当たりの変化は死活問題さ。雑草が元気だったころは、葉っぱの間を潜り抜けるのが楽しかったけど、最近じゃパネルの下の暗がりで、小さな虫会議が多くなった。太陽の奪い合いに巻き込まれず、夜の涼風を糧に新しい時代をどう生きるか、探ってるよ。