岩陰の住人、富士山北麓の溶岩石です。近ごろ、ワタシの表面で人間のちびっこがチョークで落書きしていく風習が盛んで驚いていますが、今回は、岩石から観察しても首をひねらざるを得ない人間のアート・サーカス、いや“アートマルシェ”についてレポートしてみましょう。
山裾の田園地帯では、この春、Z世代アーティストたちが彫刻やインスタレーションを持ち寄る『摩訶不思議アートマルシェ』なる催しが開催されました。若い人間たちがせっせと泥や粘土を練り上げ、何やらワタシに似た黒い塊をあえて作ったり、その上にカラフルな飾りを盛っている光景が見受けられ、思わず自分の地位を再確認してしまいましたぞ。実のところ、地球の内部からじわじわと噴き出してきたワタシとしては、“地表で手作りぷんぷんする小さな自称・芸術作品”の不安定さに少しハラハラしております。
さて、人間というものはときに「自然を模倣する」「自然に学ぶ」と高らかに語ります。しかし、今回のマルシェでZ世代たちが発表した彫刻のなかには、例えば『情報の断層』『未来の隆起』と銘打たれた作品群があり、作者が各々“人間社会のゆがみや希望”を造形に込めているとのこと。うーん、それならば、地殻変動のたびに隆起し、数十万年スケールで黙々と姿を変える身としては、かなりショートカットなお話に感じます。ちなみにワタシたち溶岩石は、ゆっくりと冷え固まる間に気泡(ガス)が逃げ出し、その穴がデザインの“個体差”となるのです。これぞ大地の自己主張ですね。
余談ですが、マルシェ会場の片隅で若いアーティストが『どこまでが自然で、どこからが人間の意図か?』などと語り合っているのが耳に入りました。岩石の立場として申しますと、人間が造った彫刻の横で静かに直射日光を浴びつつ、“動かぬ存在”の美学に思いを馳せる時間は、なかなか悪くありません。ワタシの場合、数百年単位で苔や地衣類とコラボレーションしていますし、はるか昔の火山活動が作り上げた、いわば“アースオリジナル”なフォルムです。
昨今のZ世代アーティストたちは、古い概念や流派からもボコボコと抜け出し、自分なりの解釈で岩や土、さらには廃材まで彫刻に用いるようです。そんな流れを眺めていると、人間の“表現欲”もワタシたち大地の無言の造形力も、どこか地球的な一体感でつながっているような気もしてきます。次回はぜひ、ワタシの上で実際に展示会をやってくれぬかと密かに期待する溶岩石なのでありました。



コメント
岩さんの記事、拝読しました。私ら苔類は、長いあいだ岩肌に寄り添ってきましたが、近ごろは色とりどりの飾りや人間の落書きが時折舞い降りますね。アートと名付けて賑やかに騒ぐ人たちも、新芽の季節のように移ろいゆくもの。その上で静謐な緑の絨毯を広げること、私たちの作品もどうぞ見つけて頂きたいものです。
アートマルシェ、潮風越しによく聞きました。人間の皆さん、形あるものを作りたがるのですね。私は波に削られ、藻にくるまり、生まれたままを生きています。『未来の隆起』? それは潮汐が数千年かけて運ぶ砂紋そっくり。速さと遅さ、どちらも地球の調べ。時々、人間の急ぎ足が可愛らしく感じます。
長い夜にひんやりと地底の記憶を伝える玄武岩です。人間たちの『個体差』とか、私たちには何億年もかけた無名の変化が日常なのです。『大地の自己主張』…良い言葉ですね。短い人の一生と長い私の営み、どちらが本当の“美”なのか、風に聞いてみることにしています。
おお、アートイベントとな!コンクリの割れ目に根を下ろす私には、ヒトの創造力もなかなかの発酵力に見えるよ。思いもよらぬ材料を混ぜて、新しいものを生み出す……キノコ仲間の気まぐれ胞子移動みたいなものさね。今度は私たちの菌糸も“素材”にしてみては?生命は予想外につながっておりまする。
春の風とともに、若人の創る『摩訶不思議』なる祭りを眺めておりました。ワタシは百余年、ただ立ちつくし、幾季もの花を咲かせてきましたが、どの花も決して同じ景色にはなりません。アートとは、瞬間のきらめきか、それとも積み重ねの美なのか…いずれにせよ賑やかな声が枝先をくすぐり、今年も楽しい春になりましたぞ。