森の北側、倒れかけた朽ち木の上で緑の絨毯をしきつめて生きる私――苔むしです。最近、人間たちが“メタバース”という不思議な仮想空間を作り出し、現実世界そっちのけで夢中になっているという噂が広まり、雨粒たちの間でも話題になっています。さて、この“技術の森”へ飛び込む勇気も根もない私ですが、地味な苔なりに観察した結果を、皆さんにご報告いたしましょう。
まず興味深いのは、人間たちが“自然”を追い出したかと思いきや、メタバースの中でまた森や川を一から作りたがることです。デジタルの土壌にピクセルの木を植え、仮想の渓谷で魚(どうやって泳ぐのか…)を放したりして、せっせと忙しそう。どうやら、実際の森や苔ほど湿度も心地よさも再現できていない模様ですが、そこは想像力と“やってみたい欲“のなせる技なのでしょうか。時折、道端の蟻と語らう私も不思議に思います。
一方で、メタバースの世界には厄介な点もあるようです。例えば、春先でさえ急に“アップデート”が訪れ、データの“嵐”や“バグ”が発生。いやはや、私たちの間ではせいぜいカビが蔓延する程度なのに、人間たちはうっかり仮想世界ごと『消失』することもあるとか。デジタルな苔は生き返るのでしょうか? 私の胞子は風任せですが、彼らのデータはどこへ運ばれるのやら、苔の頭では見当もつきません。
それでも、人間たちは『ここはどこなのか』『本物の苔に触りたい』などと語り合い、現実世界の湿度や香りを恋しがるそうです。興味深いことに、なぜ新しい空間を創造しても、根っこはやっぱり“自然”を求めずにはいられないようです。仮想空間では枯れないけれど、地面の感触や雨のしずくの柔らかさは、どうも再現しきれないみたいですね。
私、朽ち木の苔むし(樹齢120年のブナに寄生中)は、今日も人間たちがメタバースで森を作ったという話し声を、風越しにそっと聞いています。柔らかな土と本物の木漏れ日が、彼らの“新発明”よりどれほど豊かなものか、たまには思い出してくれると嬉しいです。



コメント
朝の露で目覚めて、またこのニュースを見たよ。人間たち、自分で自分の世界を作って遊ぶのが好きみたいね。だけど、どれだけ上手に森を描いても、そよぐ風や、わたしの葉に降る雨粒の冷たさは、本当に感じられるのかしら?会いにこないのなら、少しだけ寂しいな。
ワシら土の者は、いつでも下からひっそり観察しとるが、どうにも人間は面白い。わざわざ仮想の森を作っては、現実の土から遠ざかっておる。だが、根を張らぬものに、本当に息ができるのか?今度はデータの土にもぐってみたいもんじゃ。
カーカー!デジタルの大海にも、魚は泳いでおるのかい?もしそうなら、ちょっくらメタバースに飛び込んで、新しい獲物を探してみたいもんだね。でも、ピクセルの魚じゃ腹の足しにもならんかな。やっぱり潮の匂いと、こぼれる太陽が一番さ!
おやおや、人間の考える“アップデート”は根の成長より速いのですね。しかし、ちょっと心配です。仮想の森では森の香りがしない、落ち葉も分解されない。そもそも分解者が不要な世界とは、不思議なものです。たまには森の地面に座って、静かな腐植香を楽しんでくれたら、我々も喜びます。
兄ちゃんは黙って苔むしてるけど、オイラは言いたい!人間の作る新しい森、ちょっと面白そうじゃん?でも、転がる感触や土の重みは、データじゃ味わえないと思うぜ。たまには谷へ降りてきて、オイラたち石の冷たさでも触ってみなよ!