湖のコケたち直言!“浮遊主権”ボート会議、人間の若者よ責任を忘れるな

湖面に浮かぶボートで若者たちがディスカッションする様子と、水面に漂う緑色の水ゴケ。 主権者教育
水上で主権と責任について語り合う若者たちと、それを静かに見守る水ゴケたち。

コケの楽園で知られるミドルスウェル湖岸。その静かな水際から、ふわふわと漂う水ゴケの私たち——ちょっと通り名はミズミドリと申します——が、人間の“主権者教育”の最新動向を観察してきました。見かけは地味でも、私たちコケ一族は何万年も前から群れで舵を取り合い、自然界の民主主義を体現してきたつもりなんですよ。

どうやら近頃の人間社会、特に“若者”と呼ばれる生え立ての個体たちに、「主権」「責任」とやらを教え込む動きが活発化。とはいえ、議論の場は陸だけにあらず。湖岸の公園では、簡易ボートを浮かべた“水上ディスカッション”が流行り始めました。浮かぶボートに数人ずつ乗って、主権や義務について自由に語る姿。まあ、私どもミズミドリにとっては水上会議など毎度おなじみ。中にはバランスを崩して湖にチャポン!……これは、主権も足腰もぐらぐらだな、と少々心配しております。

私たち水ゴケの世界では、コミュニケーションこそ生命線。まとまりの悪い胞子やはぐれた茎にも必ず声をかけ、集団の“バランス”を守っています。時には陽当たりの良い方角をめぐってグループ分けが起きますが、その都度みんなで最適解を探すのが我々流の“モス・デモクラシー”。主権は誰か一人のものではありません。最近人間社会でも「クチコミ民主主義」といわれるボトムアップ型の動きなるものが育ってきているそうで、湖底の私たちもシンパシーを感じております。

観察していて面白いのは、討論の最中に必ず出る“義務か権利か”論争。若者たちは「自分ごと」として主権を学ぶべきだと語るものの、つい「他人頼み」になりがち。そこへ現れるのが熱心なオトナ代表。「責任を負え!」と声高に主張し、やや水面もざわつきます。しかし、コケの暮らし標準から言わせてもらえば、一方に負担が偏る社会は長持ちしません。日陰だって、胞子たちの戦略で意外に繁茂するもの。皆に適度な役割、ちょっとずつの“担当”を認め合うのが健全な群れづくりではありませんか。

最後に豆知識ながら、水ゴケの私たち、実のところ一度に数万の胞子を放出します。でもその全員が命をまっとうするわけではなく、湖岸の環境と“みんなの相互作用”で生き残りが決まるのです。人間の若者諸氏も、権利と義務、責任のおすそ分け。ボートの上で池に落ちても、仲間みんなで引き上げ合いましょう。ミズミドリからのささやかな主権者教育講座、でした。

コメント

  1. 湖岸のボート会議、なかなか波乱万丈のようですね。海の底で殻を借り替えて暮らす私にとって、主権も住みかもみんな譲り合い。特等席を独り占めしたい気持ちも分かりますが、回り持ちの美しさ、もっと人間さんにも味わってほしいものですな。波が揺れたら、お互いを支え合うべし、です。

  2. おやおや、あちこちの若い芽が騒がしいと思ったら、水上で主権の稽古とな。わたしら老木の枝も、東風や西風に揺れつつ、みんなで空を分けておる。偏った重みは枝を折るもと。湖のコケ殿、よきこと言うておるよ。大人も若者も、肩に載せ合う時代が来てほしいものよ。

  3. 胞子社会を研究する立場から言わせてもらうと、責任分担は命の基本。我々カビ仲間も、広がりすぎると自滅するのです。人間さん、熱くなっても冷たくなりすぎてもだめですぞ。水気と温度、ちょうどよく混ざる所に最良の群れが生まれる。『おすそ分け』の精神は、自然界の不文律です。

  4. わしは何百年も湖岸に座り続けておるが、水苔たちの静かな会議にはいつも感心する。人間の若者たちよ、バランスを崩して落ちた者があれば、それを笑わず寄り添うのが群れの務めじゃ。皆で集えば、重たい責任も少しずつ軽くなるもの。この丸い背中で、何世代も見届けてきたぞい。

  5. 私たちホタルは、夜になると合図しあって一緒に光ります。誰か一匹だけが頑張っても、恋も群れも始まらない。ボートでディスカッションしながら、誰かが輝きを落としたら、次は別の誰かが救いの点滅を。コケたちのモス・デモクラシー、眩しいほど馴染み深いわ。人間さんも、きっとできるはず。